
第14回 魔法の歌声<後編:フランキー・イン・東京~瞳の面影>
<前回より続く> 『ジャージー・ボーイズ』試写会場のスクリーンが、「悲しきラグ・ドール」を披露するシーンに差し掛かったとき、私の頭の中は瞬く間に9ヶ月遡り、真冬の東京・日比谷に引き戻された。14年1月18日土曜日。前年9月に予定されていた公演が、危惧された中止ではなく無事に実現したその夜。これほどのキャリアを持ちながら、そして数多くの著名なヒット曲がありながら果たせなかった初来日のステージ。フランキー・ヴァリがやって来たのだ。一応フランキー・ヴァリ&フォー・シーズンズとなっているものの、往時のメンバーはもちろんおらず。ライヴのレパートリーがグループ時代のものを多く含むこともあって、この名義を用いているのであろう。前回いつ誰のコンサートのために足を運んだのかも憶えていないほど久しぶりの日比谷公会堂。79年にザ・バンドの映画『ラスト・ワルツ』の特別試写会が行なわれた際に、舞台で実現したロビー・ロバートソンと竹田和夫によるセッションはちょっと忘れ難い光景だったなあ、などと回想に耽<ふけ>りながら眺める由緒ある建築物の佇まいは、今夜のアクトに似合い過ぎる。席をびっしりと埋めた、全体に年齢層は高く(そりゃそうだ)、やっぱり男性が多い観客が醸し出す”フランキー・ヴァリをついに観るぞっ!”的な意気込みが空気中に漂い、開演前の穏やかな興奮を心地よく煽っていた。 「グリース」で幕を開けたステージは、コンサートよりもショーと呼ぶのが相応しい、とても賑やかでそれは楽しい時間だった。さすがにこの時点で御年79、軽快なサウンドとは裏腹に主役だけゆったりと、ときにスローモーションのようなアクションで悠々と舞台を仕切るのが微笑ましかった。ところがやがてフランキー、むしろ溌剌と生気に満ちた輝きを放ち始め、中盤以降、とりわけ14曲目の「ステイ」からの怒濤のフォー・シーズンズ・クラシックス攻勢では、ライヴ・アクトとしての凄まじいほどの集中力と圧倒的なスケールで観客を別世界へと誘ってくれた。わずか2ヶ月前、13年11月に格の違いをイヤというほど見せつけたポール・マッカートニー翁の東京ドーム公演と通じ合う、レベルのまったく異なるエンターテイメントだったと思う。アンコールの「レッツ・ハング・オン」で幕を閉じるまで26曲ほぼノンストップというとてつもない労働量に、ポールのときと同様、フランキーの体力面が心配されたが、後日海外での演目を見たら、休憩を挟んだ2部構成で来日ステージを上回るヴォリュームだった。お、恐るべし…日比谷駅までの帰路につく人々から「君の瞳に恋してる」や「シェリー」のハミングが聞こえてきて、幸せな気持ちがさらに沸き起こった夜だった。 14年9月27日に日本公開となった映画『ジャージー・ボーイズ』は、放送および活字メディアの好意的な紹介も多々あり、クリント・イーストウッド監督の知名度効果を差し引いても、ここ日本でかなり大きな成果を上げた作品として記憶されることになりそうだ。人間ドラマの側面での秀逸さと共に、これを機会にフォー・シーズンズの音楽を耳にした世代には、劇中でフランキーと仲間たちが歌った数々のヒット曲は、むしろこれから『ジャージー・ボーイズ』が名作として捉えられていく大きな要素となるだろう。若い人々にとって、無尽蔵に横たわるポップスの名品との幸運な出会いとなったことを願う。 というのも、幸運な出会いは私にも訪れたからだ。フランキー・ヴァリをちゃんと知ったのは、75年春だった。中学を卒業して高校に入学するまでの短い日々の、おそらく3月22日土曜日の午後。私はラジオでFEN(米軍極東放送)から流れる『AMERICAN TOP 40』の、その週のNo.1ソングとして「瞳の面影」を耳にし、改めてその曲が放つ瑞々しくキラキラと輝く魅力に、思いもよらぬほど強く惹き込まれた。流麗でポップなメロディーと洒落たアレンジ、とりわけ誰にも似ていない声と歌い方。胸の奥底にまで届いていった感動は、振り返る度にその瞬間にいた、今はなくなってしまった実家の自室の間取りまでが併せて甦るほど鮮明だ。こうしたことの積み重ねが、本連載第2/3回で触れたように私の人生を導いていく。 ラジオの世界に入ってから、恩師の八木誠さんがフォー・シーズンズを心底愛し、長年にわたって彼らの音楽が日本で正しく評価されるよう尽力されてきたことを知って、フランキーの存在はより大きなものになった(八木さんに教えてもらった、とてもとても多くのことについては稿を改めて)。

(2014.11.10)