その十二 「良心くん、青森県の村に眠るキリストに会う・・・!?」
世界で一番有名な巡礼の道、スペインのカミノ・デ・サンティアゴを歩く旅に出かけた。
聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かうルートは何本かあるが、僕が歩いたのはフランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからピレネー山脈を越える全長800 kmの道。『フランス人の道』と呼ばれる、最もポピュラーな巡礼の道である。
パウロ・コエーリョが書いた『星の巡礼』やマーティン・シーン主演の『星の旅人たち』など、カミノ・デ・サンティアゴを舞台にした小説や映画、旅行記などは数多く出ているし、何度も歩いている友人から伝え聞いていたからイメージはできていたけど、実際に歩いてみたらそのおもしろさは想像を越えていた。
詳しくはまた別の機会に報告しようと思うが、ロングトレイルともいえるこの巡礼の道は、四国八十八ヶ所のお遍路と同じく、宗教に関係なく誰でも歩けるところがありがたい。道中の教会にも信者でなくても立ち寄って礼拝できるが、教会に立ち寄ってキリスト像を目にするたびに、僕は数年前に訪れた日本のある村の光景が思い浮かんで苦笑してしまった。
じつはキリストの墓がエルサレムではなく、日本の村にある、と聞いたら誰しも驚くだろう。
真偽のほどは各自の判断にまかせるとして、キリストの墓は、青森県十和田湖の東、新郷村(しんごうむら)にある。
事の発端は昭和6年に発見された謎の古文書。そこに記された史実によれば、キリストは21歳で日本をめざし、能登半島に上陸したという。日本の言葉や文字を習ったキリストは様々な修業を積んで33歳でユダヤに帰国。その後ローマ兵に捕らわれてゴルゴダの丘で処刑されるが、十字架に架けられたのはじつはキリストではなく、弟のイスキリだったのである。
生き延びたキリストは弟子たちとともにシベリアに渡り、各地を遍歴したのちに再来日。青森県の八戸港に上陸し、新郷村の戸来(へらい)に居を構え、日本人のミユ子という女性をめとり、三女をもうけて106歳の天寿を全うした、と古文書には書かれてあるそうだ。
そしてその古文書発見から4年後の昭和10年、古代史研究家らが新郷村を訪れ、小高い丘にあるこんもりとした盛り土を見て「これぞ、キリストの墓ではないか!?」と仮説を立て、新郷村のキリスト伝説が幕を開けた。
昭和38年からは毎年6月の第一日曜日にキリストを慰霊するキリスト祭も開かれている。
キリスト祭は神社の神主が祝詞をあげたあと、玉串を捧げ、意味不明の『ナニャドヤラ』という歌詞を着物姿の女性たちが歌いながらキリストの墓のまわりでなぜか盆踊りをする。
なぜキリストの祭に神社の神主なのだ、おかしいだろ、というもっともな意見が出たこともあり、神主ではなく、牧師を呼んで米軍三沢基地のアメリカ人たちに賛美歌を歌ってもらったこともあったが、これが新郷村の人々には不評。翌年から再び日本の神式スタイルを続けているという。6月の第一日曜日にキリスト祭を行なっているのも、田植えが終わったあとで村人は時間的余裕があるし、豊穣祈願の意味合いもあるらしい。新郷村に眠るキリストは、日本の村の事情を考慮してくださっているのである。
僕が新郷村を訪れたのは6月の第一日曜日の数日前だったが、その年に限っては1週間前にキリスト祭が行なわれたため、見物することはできなかった。1週間早めた理由は、6月の第一日曜日に青森県の知事選挙が行なわれるから、とのことだった。新郷村に眠るキリストは、日本の政治も考慮してくださっているのである。
キリスト祭は見られなかったが、墓参りはしておこうと、良心くんとともに僕は村の中心にあるキリストの墓に出かけた。
たしかに小高い丘の上に十字架が立っていて、神聖なる雰囲気が漂っていなくもない。
十字架の墓はふたつあるが、手前がキリストの墓で、もうひとつは身代わりで十字架に架けられた弟のイリキスの墓だという。
おいおい。古文書にはゴルゴダの丘で処刑されたのはイリキス、と書いてあったんだろ。なんで、そのイリキスの墓がここにあるんだ? と思ったけど、とりあえず、合掌してお参りをすませて、墓に隣接している『キリスト伝承館』に入った。
館内にはキリストと新郷村に関する資料が展示してあり、ユニークな仮説がいくつか紹介されていた。
新郷村はもともと戸来村だったが、その呼び名はヘブライをもじったものである……とか、村では男性をアヤ、またはダダ、女性をアバというが、その語源はアダムとイブではないか……、あるいはこの村では産まれた子どもを初めて戸外に出すとき、子どもの額に墨で十字を書く習慣があること、などを紹介しており、興味深く拝観することができた。
そもそも新郷村にはキリスト教徒はひとりもいないそうで、村民いわく「キリストは信仰を広めるために新郷村へ来たんじゃなくて、普通に暮らしていただけだから信者を増やす気ななかったんだ」とのことである。
昼食は村民に愛されている村の食堂、えびす屋に入った。この食堂にはその名も、キリストラーメンなるメニューがあるのだ。
食堂のお姉さんにキリストラーメンを頼んだら、お姉さんはうなずき、厨房に向かって朗らかな声で言った。
「キリスト、ひとつ!」
おいおい、いいのか。神様をそんなふうに数えて……と笑ってしまったが、彼女と厨房のおばさんにとってはもちろん日常的な会話なのだろう。
やがて運ばれてきたラーメンには、輪切りにして焼いた長芋と梅干し、山菜のワラビなどがのっていた。
「これがどうしてキリストラーメンなんですか?」
質問すると、お姉さんはにっこり笑って答えた。
「キリストは肉を食べないから」
それでチャーシューなどをのせずに、村の名物である長芋や山菜をトッピングしているのだという。
さらに、このラーメンは食べる前にお祈りをしなくてはならない。胸で十字を切って「ラ〜メン!」と唱えるのである。
いやはや、なんとも親しみやすい新郷村のキリストであることか。
この村にはキリストの墓以外にも、幹の周りが465cmもある日本一のダケカンバや巨大なブナの森もあるので、口直しに……いや、豊かな自然に触れてから帰ろうと、戸来岳をトレッキングしてから、新郷村をあとにした。
photos by sherpa saito
*新郷村のホームページ
http://www.vill.shingo.aomori.jp/index.html