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内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語 photo by James Hadde

第28回 カヌー3万年旅(続編)

 前回の、カヌーによる3万年旅の後編が話の途中で終わったので、今回はその続きであるから、続編とするかな。
 丸木カヌー「スギメ」による台湾東海岸から与那国島までの海旅は、後期旧石器時代だった3万年前という途方もない昔に、琉球列島を含めた日本諸島、つまりヤポネシアへの渡海を、カヌー漕ぎという行為を通して、当時の人たち(ホモ・サピエンス)の心の動きまでも含めて解き明かす端緒となった、と少なくとも私(ワシと読んでね)は、そう実感した。そしてこれは、自然科学と人文&社会科学の融合ともいうべき分野の実験だったんじゃね?と今は感じている。
 自然科学系の研究だけじゃ、この実験の成果は見えてこないということだ。文化人類学や民俗学、哲学、心理学、社会学といった人文・社会系、さらには宇宙論(コスモロジー)や量子力学さえ関係してくるはずだ。そうなると、以前書いたエコフィロソフィー(アウトドア哲学)の世界が関わってくる。
 
 今の時代だからこそ、実験ができる社会環境ができてきているということにもなろう。ある部分、科学的に社会環境が進化したともいえる気がする。実験に必要な資金をクラウドファンディングで集められたのも、そういう社会環境ができつつあるからだろうしエコフィロソフィーが社会に浸透し始めているから、とも思える。
 大体、自然科学系の先端にあるような宇宙論自体が、人文系の科学に頼り始めていることが、この実験とどこか共通している。すでに機械論的コスモロジーでは宇宙は解明できないし、量子力学というか素粒子の世界も機械論的コスモロジーじゃ解明できないということはハッキリしている。3万年という時間の流れを遡ることはできないが、その時間の流れの中で培われた人類全体の意識(知覚)の総体、いや人類だけじゃなく地球上でこれまでに絶滅した生命体(恐竜なんかも)も含めて、命あるものすべてにあった意識の総体は、無意識として宇宙に存在しているということが、現実的に考えられるようになったというのが今の科学の最先端のようだ。
 この無意識の総体を集合的(普遍的)無意識と言ったのはカール・ユングだけど、この分析心理学の創始者の考えは、今や量子力学によって説明できる段階にまで来ている、らしいんだな。それを、今回の実験で如実に「感じた」ので話になる。つまり、自然科学系でも量子力学の分野が3万年旅には重要な要素として関わってくるということ。まさにエコフィロソフィーには、そういう側面がある。いや、側面というより真ん中にある気がする。
 
 それで、このカヌー3万年旅でまず気付いたことは、人類は意識が変性した時にこそ無意識を意識化できるんじゃね?ということだ。変性意識状態(ASCという)というのは、通常の意識状態とは違う意識状態で、代表的なのがトランス状態といわれるけど、瞑想している時や催眠、薬物や酒に酔っている時だって、まぁ変性している状態である。座禅だって変性である。私は、強烈なASCに何度も陥ったことがある。若かりし頃のサハラ沙漠の経験によって。

 台湾から与那国島へ向かう瞬間をどう判断するかという、この実験にとってもっとも重要な判断を基本的に私は任されていた。そのために酷暑の台湾の海岸にテントを張り、毎日そこで寝ていた。大潮の満潮線のギリギリに張ったテントで過ごすことは、陸上にいても海にもっとも近い位置にいるということだから、あえてそうしていた。漕手である漕航士たちも同じように海岸暮らしをしていた。その理由は、海気をいかに感じ得るか、のためだった。
 海気は、今やほとんど死語になっている日本語で、意味はといえば海の空気とか海洋と大気の略、といった説明しか辞書にはない。本質的な意味は、まさに死語になっている。海気については、これまでの連載でも説明してきたけど、海気を感じる状況に陥ると、実は海の変化が分かってくる。もちろん科学的というより経験則や直感としか今はいえないけど、風が落ちるタイミングや逆に風が吹き始めるタイミングが理由もなく分かってくる。
 
 それで、その海気を感じられる状態になるというのが、これまた重要で、もっとも分かりやすいのは何日も、何日も、シーカヤックで旅をしている時なのである。だからシーカヤックガイドたちは海気という言葉を聞いた瞬間にそれを理解する。何も私だけじゃないってことだ。だからこそ、海岸でのテント生活が重要になるということになる。漕航士のみんなもそれを理解しているから、テント泊だったのである。
 そうやって出航のタイミングがきた時には、与那国島への到達を確信していたことも、まぁ確かなことだった。あの朝、スギメのキャプテン・コージは、すでに与那国島の空港にいる夢を見ていた。それが彼の出航判断ともなった。
 同じような夢の中での出航判断は、私も何度も経験してきたことだ。夢でのお告げというのは、実際にあるということ。迷いなく出られたのは、そのお告げに確信があったからで、漕航士たちはそれぞれが何かしらの確信をしていたのである。恐怖心などはすでにどこかへ飛んでいた。
 
 こういった海気を感じている状態や、夢のお告げが来るような変性した意識状態になることで、旧石器人たちも海へと出ていた可能性は当然あることだろう。さらに、出航してからもその変性した状態は続いている。いや、さらに深く変性していく。
 何しろ、とてつもない酷暑の中、とてつもない高温の海水(30度プラス)との狭間を漕ぎ続けているのである。漕ぐという行為は、ずっと同じ動作を続けるからさらに変性しやすくなっていると考えられるし、2日目ともなると睡眠不足にも陥っている。
 スギメの漕航士たちは、そのうち幻視(幻覚)を見るようになっていた。白い日本の漁船が2隻現れたとか、扉が見えたとか、すでに台湾の明かりは見えない洋上にあって、街の明かりが見えたとか、そういった人間に起こる現象だ。1950年代にカヌーで単身大西洋を渡ったドイツ人医師がいたのだが、彼(ハンス・リンドマンHannes Linddemann)も幻覚の報告を医学論文に載せているし、極限状態での幻覚や幻視は当たり前に報告されている。実際、私も幻視を見た経験は何度もあったから、スギメ漕航士たちの報告に驚くことはなかった。

 そして、体力の限界が近くなった2日目の夜、スギメ漕航士たちは休息に入る。全員で漕ぐのをやめ、ワッチ(見張り)以外は睡眠をとり始めた。漕がずとも島に近づけるという強い直感があったからである。無線で「寝ます」と報告があったので、私は「どうぞ」と答えた。
 寝ている間、彼らは心からリラックスしていたらしい。入江の中で寝ていると思っていた者もいた。大きな何かに包まれている感覚だったという表現もあった。宇宙に抱かれているかのような感覚だ。
 彼らが睡眠を取っている間、私も軽く睡眠を取っていた。知覚が過敏になっていたのだろう、なぜか歯が痛くてたまらず、それで寝たのだけど、やはり私自身も変性した状態にあったと、今なら考えられる。
 私が起きてからも彼らはまだ寝ていたのだが、すでに与那国島の灯台の灯が遠くに見えていた。西崎の灯台だということは伴走のヨットから確認できていた。早く起きないかなぁ、などとぼんやり考えながら、時折無線で確認していたが返事はなく、全員が寝ているのであった。
 
 そして彼らが目覚めた時、眼前にはすでに与那国島を包むうっすらとした雲が見えていた。まだ夜明け前だったが明らかな島の存在が確認できていた。海の流れが30キロほど与那国へと近づけてくれていたのである。海気の読みは完璧に近いものだった。これは奇跡的なものではなく、目論見通り、イメージ通りだったということだ。
 とはいえ、変性した意識の状態だからこそイメージできたことでもあろう。ヒトにはそんな力があるのだと今回の実験で改めて確信した。これまで同じような経験をしていたけど、それが彼らにも起こったからだ。そして、エコフィロソフィーで気付いた量子力学、特に量子生物学といった新たな科学がこれらの変性意識から生まれるヒトの超越性を教えてくれているとも思うようになった。

 以上のような先鋭的自然科学は、実は東洋や北南米大陸の人々の歴史に存在している霊的、スピリチュアルな文化に近づくものだという認識さえ生まれている。北米のホピ族の長老などは、ようやく量子力学が我々の文化に追いついてきたとさえ言明する。日本の太古からの文化にも数多く残っている叡知でもある。
 結局のところ、考古学だけでは、この実験航海の結論は出るはずもなく、文化人類学や民俗学的な分野から量子力学の世界までを含めないことには理解できないことになってるんじゃないかと強く思う。
 
 変性した意識下(つまりは無意識だな)での感覚は第六感とかいわれることも多いが、そこに磁覚という感覚があることも分かってきた。地球の地磁気を感じられるような知覚で、人間も持っているらしい。鳥や蝶が長い距離を正確に移動できるのは、この磁覚を使っていると量子生物学が考え始めている。クリプトクロムというたんぱく質(分子だな)が地磁気を感じるらしく、人の網膜にも存在していることが分かっている。鳥のように地磁気を無意識に目で感じている可能性があるわけだ。
 太古の人たちは、もっと強く感じていたかもしれず、退化したのか無意識の奥へ引きこもったのかは分からないけど、意識が変性した状態に陥った時に意識として出てくるということだって、まぁ考えられるわな。
 
 実は、ホクレア号を始めとする航海カヌーの無計器ナビゲーションは、太陽や星、うねりや鳥といった観察によって方角や位置を理解しているのだけど、実はもっとも重要なのは、ナビゲーター(ウェイファインダー)が眠らないことなのである。これは意外に知られていないこと。
 例えばハワイからタヒチまでの航海には1ヶ月ほどかかるけど、その間ナビゲーターはほとんど眠らない。眠らないということは、間違いなく変性した意識下にあるわけで、その状態だと地磁気を感じているのかもしれない。いずれにしろ、量子生物学はそこまで理解していないようだけど、これから理解できていく可能性は高かろう。
 
 結局、今回の実験航海は、実験じゃなく実質的な探検だったということがハッキリ理解できるようになった。探検というのは、南極点到達2番乗りになってしまったイギリス南極遠征のスコット隊の悲劇(到達後の帰路に遭難して全員が死亡)を描いた『The worst journey in the world(世界最悪の旅)』という報告書で、著者で遠征隊員だったチェリー・ガラード(Apsley Cherry-Garrard)が、的確に記していた。
 Exploration is the physical expression of the Intellectual Passion.
 と。これを探検ジャーナリストだった加納一郎は戦時中の昭和19年に翻訳し、こう日本語で表現した。
 「探検とは知的情熱の肉体的表現である」
 
 私はこの言葉に出会った若かりし頃から、ずっと探検を志してきた。探検と冒険は似て非なるものだけど、日本語では曖昧に使われていると以前書いたことがある。知的な情熱があるからこそ探検たりうる。それが冒険との大きな違いだ。冒険(Adventure)には投機という意味が含まれ、冒険は投機的な活動になる。
 ちなみに冒険にはどういった定義があるかだけど、以前書いた(連載2)サハラ横断中に渇死した青年、上温湯隆さんが書き残した言葉がある。それがもっとも腑に落ちる定義だと私は思っている。日本語でいう冒険を、彼はこう書き記した。
 「冒険とは可能性への信仰である」と。

 今回の3万年旅は、この冒険性をとことん排除しようとしていたけれど、結局この可能性への信仰という部分だけは、捨てられなかった。つまりというか、やはりというか、探検と同様に冒険性もまたこのカヌー3万年旅には、存在していたのである。それは、思考だけじゃなく、肉体的に過去へと遡るという冒険だった。ということで、この旅の表題は「カヌー探検3万年旅」と書いた方が正しいなと気付いてしまった。
 さてこれで、私の2019年度最大のテーマだったカヌー探検の報告を終わりとしよう、かな?

(2020.01.23)


*「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」のオフィシャルサイト
https://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/

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