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内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語 photo by James Hadde

第22回 祖先たちの故郷

 2017年6月4日、私は台湾の台東にいました。国立科学博物館による3万年前の航海徹底再現プロジェクトに去年に引き続き参加させてもらうためです。羽田空港から台北へ飛び、そこから台東へ飛びました。飛行機から見た台東はたくさんの田んぼや畑が見えました。到着後、すぐさま今回漕がせてもらう舟が置いてある太麻里(たいまり)へ。初めて竹筏舟を見た感想は「かっこいい!」です。さすが台湾先住民アミ族の竹筏職人ラワイさんが作ってくれただけあります。造船もアートだ!と思わせる舟。正直、3万年前の舟がここまで細かな手が加えてあったかは謎です。
 
 舟の名前はイラ。アミ語で「遥か遠くへ」という意味。ラワイさんが遥か遠くにある与那国まで辿りつけるようにとつけてくれたアミ語の名前です。私たちは早速試し漕ぎすることになりました。初めて漕いでみて、私とカツさんの感想は「早い」でした。去年の草束舟も漕がせてもらったのは、私と彼だけだったので、こんな感想が飛び出しました。でも他の漕ぎ手はシーカヤックに乗ることが多いので、遅いなぁと思ったそうです。

 台湾は私が今まで行った場所で、一番に近いほど暑いところでした。(2012年にハワイの伝統航海カヌー「ヒキアナリア号」で赤道を渡ったとき、風がなくなり感じた暑さと同じぐらい!)父はそれを見越していたのか、ただキャンプが好きなのかはわかりませんが、今回は暑さに慣れるために漕ぎ手は舟のそばでキャンプすることになっていました。後々、この選択は正しかったなと思い知らされます。2週間という、去年に比べてかなり短い期間での航海訓練。“暑さ”はひとつの大きな課題でした。

 太麻里はものすごく広い浜で、私たちがキャンプしているところから海辺まで200メートルぐらいありました。美しい場所でしたが、浜は小さい石がゴロゴロしているのと、波打ち際が一瞬で深くなっているので波が起きやすく、イラを出したり、入れたりするにはあまり安全ではありませんでした。竹筏舟は水に浸かった草束舟ほどではありませんが、やはり重量があり、漕ぎ手5人だけでは運べません。運ぶときも下を引きずると竹と竹を縛っているツルが切れてしまう可能性や、竹本体にもダメージを与える可能性があるので、必ず持ち上げなければなりません。こういう理由を踏まえた上で太麻里から北の方にある杉原海岸へ移動することになりました。

 杉原海岸は一見リゾートを思わせるような砂浜です。太麻里に比べ遠浅の海なので波打ち際も優しく、練習にはもってこいの場所でした。初めの練習は杉原海岸までイラを運ぶこと。海は風もなくとても穏やかでした。伴走船は富岡漁港から太麻里に向かってくるので数時間かかるとのこと。海の状況もよかったので、私たちだけで出発することにしました。出発から数時間経ってもなかなか伴走船が見えなかったので連絡してみると、私たちを見つけることができずにいるとのこと。こんな穏やかな日でも、海の上では私たちの存在は本当に小さいのです。本番では夜も漕ぎ、自然の中に入れば状況は一瞬で変わります。プロジェクトは“安全第一”に動いています。色々な状況を想定し、対応できるように漕ぎ手もエスコート側も訓練していくことが大切です。

 少しだけ台湾の船舶事情について触れたいと思います。台湾では船の港への出し入れがとても厳しく、毎回海上保安庁が来て人数をチェックします。海の上に見えない線が引いてあるようで、例えば台東側から台南側への境界線があり、台東側に所属している船は台南側への境界線は超えられません。アンカーを好きなところで降ろしていいわけももちろんなく、毎回港へ戻らないといけません。天候などでの臨機応変な対応が全くきかないところが、今年のスケジュールがタイトな中で、難しい部分でもありました。

 宗さん以外、ほとんど黒潮横断という経験がない私たちだったので、黒潮を体験するため、流れているところまでひっぱっていってもらいました。黒潮の海に飛び込んでみると「暖かい」のです。宗さんに「黒潮に入ったことはわかるの?」と事前に聞いていたのですが、「暖かいからわかるよ」とおしゃっていました。確かにすぐ自分でもわかりました。そして本当に綺麗なブルーの海。カツさんは黒潮ブルーと呼びました。
 練習で漕いでみると、とても気持ちよかった! ただ後から航跡を見ると、かなり流されていました。それを私が感じたかというと、全く肌では感じられず、漕いでいてもわかりませんでした。海ごと動いているような感覚です。私たちが地球の回転を感じないように、私には黒潮の流れを感じることができませんでした。このとき、このプロジェクトの最大の難関はこの黒潮だということをはっきり理解しました。

 今回の練習の最後は緑島に向かって漕いでいくことでした。ただ、残りの時間と天候を見ても、どうもいい日がありません。可能性があるなら、2日後ではないかとみんなが思っていました。朝、伴走船の船長たちも集まり、ミーティング。彼らの読みでは明日が出航できても、ギリギリとのこと。緑島に行ける可能性は「本当にラッキーだったらたどり着ける」と原隊長は言いました。地元の方の意見を頼りに明日出発することが、いきなりですが決まりました。可能性が明日しかないのは理解しましたが、正直体力面で心配なところがありました。
 
 台湾についてから暑さでちゃんと寝むれていないこと、その日の朝は3時頃から星の観察をして起きていたこと、そして出発地点がここから伴走船で8時間南に下ったところだということで、私たち漕ぎ手は伴走船に一緒に乗り、最初と最後を浜から伴走船、そして伴走船から浜へ漕がなければいけません。そのため、きょうも休息はとれないのです。
 でもやると決まったからにはやるしかない! 早速テントをたたみ、全てをバッグに詰めて、杉原海岸から撤収。そして私たち漕ぎ手は、準備が出来次第、舟を漕いで沖まで行き、伴走船と落ち合いました。そこから伴走船に舟をひっぱってもらい、結局出発地点の大武(だいぶ)に着いたのは夜8時頃。夕食、明日の準備などを済ませ、就寝したのは11時を過ぎていました。出発は明日の朝3時。2時には起きて準備を始めないといけません。
 
 ここまできて自分の体調のせいでみんなに迷惑はかけたくないので、できるだけ体も心も短い時間で休めるように努めました。出発は大武から。黒潮のことを考えると、できるだけ南から出るのが得策なのですが、なぜ中途半端な場所から?と思うかもしれません。それは先ほど触れた境界線が理由です。伴走船は台南への境界線を超えられません。そして舟を出しやすそうな浜が境界線に一番近い場所で大武だけでした。台東周辺は砂浜が少なく、石がごろごろしている浜が多いのです。大武の浜も杉原海岸のような砂浜ではなく、小さい石がゴロゴロしていました。

 翌朝は陽が出る前に出発。海岸線沿いをまずは南へ。岸近くには南へ向かって流れる海流があるようで、思い通りに南へ漕いでいくことができました。陽が昇り、そろそろ境界線の近くに来たときに伴走船から連絡が入り、これ以上伴走船は南へは行けないとのこと。境界線からは東南東に向けて漕ぎましたが、黒潮がどれくらい速さで流れているのかはわかりません。目的地の緑島もここからは見えません。東南東の方角にある蘭嶼(らんしょ)は見えたので、島と陸の位置、そして太陽の位置を目印に使いながら漕いでいきます。
 ありがたいことにその日はそんなに気温が上がっていないような気がしました。途中で雨にも恵まれ、綺麗なダブルレインボーを見ることもできました。余談ですが、どこかの島では虹はこちらの世界と死んだ人たちがいる世界をつなげていると聞いたことがあります。虹を見ると、向こうへ行った人たちが見守ってくれているような、そんな気がします。
 
 漕いでいる時は、たまに暑さからぼーっとしてしまうこともあるので、そんなとき私はひとりで好きな歌を歌います。漕ぎ手のみんなに迷惑をかけてないといいのですが、みんな何も言わないのでいいかな? と思いながら勝手に歌を歌います。漕ぎながら気分転換をするのって他にどんな方法があるのだろう? 舵取りの原隊長がたまに休憩を入れてくれて、みんな海に飛び込みます。これは本当に生き返ります。
 
 食べ物や飲み物は各自必要なときにとるという感じでしたが、基本は休憩のときにぱっと済ませました。私は前から3番目に座っていて、舵は原隊長がとってくれていましたが、それでも方角はずっと気にしながら漕いでいました。なるべく早く目標である緑島を見つけたかったので、ずっとその方角に目を凝らしていたら、ついに水平線に小さい島影が現れました。すかさずみんなにそれを伝えました。
 
 太陽がかなり高くなってきたころ、私の前に座っていたホンスンが疲れてきたのか、漕ぎが変わってきました。たまにガンガン漕いだりしていたので、大丈夫かなと心配はしていました。原隊長も気づいて聞いてみると、もう少し頑張れると言いましたが、伴走船が近づいてくると、休むと言って急遽交代となりました。彼は伴走船に移って、すぐ船の端で嘔吐していました。疲れていただけでなく、具合が良くなかったのです。
 ホンスンは漕いでいる時もこっそり吐いていたようです。彼だけは地元出身なので、キャンプはしないで家に帰っていました。地元の人でもこの暑さには勝てず、熱中症になっていたようです。彼はそれを私たちに言えず、私たちも言えない雰囲気にしてしまっていたかもしれません。相互のコミュニケーションがとれていませんでした。ホンスンは伴走船で休むことになり、与那国のときに一緒に漕いだわたるくんが交代で乗ってくれました。彼はサーファーで腕力、体力を兼ね揃えていて、周りをとてもいい雰囲気にしてくれる方です。

 交代の後も緑島に向けてではなく東南東に舵を向けていきます。黒潮に乗っているので、緑島に向けて漕ぐと通り過ぎてしまいます。初めは水平線からひょこっと見えるぐらいの緑島も時間を追うごとにどんどん大きくなっていきました。太陽が一番高いところから半分ぐらい下がってきたころ、風が少し吹き始め、うねりも少し出てきました。夕方近くになると、今まで漕いでいた方向に舟が向かなくなっていました。この風とうねりに、イラは逆らうことはできないのです。このとき一瞬で緑島を通り過ぎていくのがわかりました。緑島に到着するためには見えてはいけないはずの島の裏側にある岩が見えたとき、漕ぎ着けないなとわかりました。それでも日没まで漕ぎ、そこからは、伴走船にひっぱってもらって緑島に着くことになりました。

 結果、緑島へは漕ぎつけませんでした。今回もメディアは「失敗」という言葉を使っていますが、失敗はこのプロジェクトにはありません。なぜなら、3万年前の祖先がどのようにして日本列島に渡って来たのかを探る実験だからです。私たちの祖先は本当にすごい人たちだったとつくづく思わされます。3万年前の人々がそんなことできるわけない、と私たちが思っていることのほとんどが間違いのような気がします。本番まであと2年。祖先たちはどのような舟でどのようにしてこの黒潮を渡ったのだろう? 今回は去年にも増して黒潮を考えさせられる練習になりました。

(2018.9.4)

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