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内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語 photo by James Hadde

第26回 カヌー3万年旅(前編)

 前回から引き続きの話であるが、今回を前編としたのは、次回もまだ続くからだ。この話題、全国的にニュースになったから、ご存知の方も多かろう。その現場からの報告である。
 で、6月中旬まで事前合宿をしていた台湾から一時帰国し、下旬からは再び台湾東海岸の烏石鼻の浜に、私(ワシと読んでね)は戻った。前回同様、浜の大潮時の満潮線のすぐ上にテントを張り、海を日々間近に感じながら3万年前の刃部磨製石斧レプリカによって切り倒され、見事に刳り抜かれた丸木カヌー「スギメ」の最終仕上げと、漕手たちのチームワーク作り、安全管理にもさらに腐心した。私の立ち位置は、一応は監督とはなっているけど、酋長(チーフ)であろうな。何しろカヌーであるからカヌー族の酋長として行動しようと努力していた。
 
 漕手は「こぎて」とも「そうしゅ」とも読むが、本来の日本語なら水手(かこ)である。とはいえ、今回の海旅を考えているうちに漕手や水手じゃなく「漕航士」と呼びたくなってきた。なぜなら、彼らは漕ぎによる航海のプロである。プロフェッショナル(専門的)でありプロフェッション(職業)にもしているプロである。そういうレベルだからこそ、このチームが生まれた。漕ぎに関して不安があるメンバーはいない。当然ながらプロでなければ漕ぎ切れないことも分かっている。
 そして、7月中旬までのどこかで、この浜から200キロ以上先に浮かぶ日本の最西端、沖縄県与那国島までの海域をスギメは旅をする。その間には黒潮という地球上最大級の海流が流れており、この黒潮流るる海峡を超えて(乗って、ともいえるけど)の海旅である。出るという瞬間がやって来たら、すぐに出航することになる。
 
 この事業、国立科学博物館が主導して行なっているけど、彼らは3万年前の後悔、いや航海と呼んでいる。しかし私は、航海ではなく海旅と呼ぶ方が相応しいとも思っている。前回は原始航海というタイトルにしたけど、どこかニュアンスが違うと感じていた。大体、航海は海を渡る(航る)という意味だけど、海旅はちょいと違う。
 以前、この連載の4回目で海旅の意味は書いたし、6回目には旅の意味を書いたので、遡って読んでもらえばいいが、航海という表現では単に海を渡るだけである。海旅には旅の語源でもある「賜ぶ」という意味が含まれる。賜び給う(たびたまう)という言葉があるけど、お与えくださるという意味だ。つまりは海が何かを私らにお与えくださるから海旅になる。
 しかも、3万年前という表現は、3万年前に終わったかのような表現だけど、丸木カヌーであるスギメが石斧だけでできたのだから、これはカヌー文化が3万年続いているということになり、カヌー3万年旅になるのである。3万年前から続くカヌー旅だということだ。だから「カヌー3万年旅」というタイトルの方がより相応しいのであると私はここんところ、ずっと考えてきた。カヌースギメによる3万年旅であり、カヌー旅はこれから少なくとも3万年は続くのである、ってか。

 6月下旬の再集合には、スギメの生みの親である雨ちゃん(雨宮国広)は来ていなかった(経費の問題なんだろう)。なので、最終的に浸水を防ぐための工夫と仕上げは、昨年までの竹筏舟を作ってくれたアミ族のラワイさんにお願いした。彼も職人である。牛革を彼は用意してくれており、それをスギメの舳部と艫部に張ってデッキにし、竹釘を使って固定した。その上に葉っぱを乗せるとなんとも旧石器風に見えるので、そうした。
 さらに漕航士たちが座るシートの間にも浸水防止のために竹と葉っぱでカバーを作り単純に置いてみたら、なんとも外洋カヌー仕様ができ上がった。
 スギメの舷側には細い竹が固定してあるのだが、それは前回の合宿の最後に雨ちゃんがやってくれたもの。この細い竹でもローリング(横の揺れ)が押えられ、浸水も減る。これは私が以前サバニで経験したことを活かしてくれたのだけど、これくらいの工夫は海人なら普通に考えることだ。旧石器の海人たちもやったに違いない、と思えるレベル。

 こうやって、少しずつスギメが外洋へ出られるように漕航士たちが手を入れていく。当然ながら彼らが座る位置や、荷物をどうするかの検討は細かくやっている。そして重要な要素、それはスギメの性格を決定するものだけど、それが底荷といわれるもの。脚荷や軽荷ともいう。英語ではバラストと呼ばれるが、まぁそっちが一般的な呼び方だな。
 カヌーにとってのバラストは、最重要のものだ。バラストがないとすぐにカヌーは転覆する。なんてことは、カヌー乗り以外にはあまり知られていない。逆にバラストがあるから、単胴のカヌーでも転覆しないのである。もちろん、現代の船舶にもバラストは必要だ。
 これまでのテストでは、バラストに砂を積んでいた。土のう袋に詰めた砂。それを今回は水袋にした。革袋が欲しかったが、飲用にも使えるようシーカヤック旅で使うウォーターバッグを用意し、それをバラストにした。万が一転覆しても落ちない工夫も施した。バラストの重量によってスギメの性格が変わることは、漕航士たちは理解しているから、テストをしながら重量と前後の配分も決めていく。

 漕航士が使う櫂(シングルパドル)は、雨ちゃんが彼らの要望を聞いたカタチを石斧で作ってくれた。素材の違いで、固いバージョンと柔らかいバージョンの2種類が用意されている。粗削りだけど、実に使える櫂になった。少なくとも6,000年ほど前から使われているようなカタチであるのだけど、実は今もほとんど変わらない。漕ぐ面が二平面(ダイヒードラルdihedral)あり、裏面は平面。断面は三角形に近くなる。このカタチの櫂は今でも使っているので、櫂もまた3万年旅であるな。

 さて、スギメの調整を進めながら、出航のタイミングを見計らう判断も日々やっていた。基本的に天気予報を見ながらではあるが、台湾東海岸特有の海陸風の具合を考え、沖合の黒潮、そして目指す与那国島の現況の情報などを兼ね合わせながら判断をしていく。とはいえ、天気予報が当てになるわけもなく、結局は目前の海との対話しかない。科学的な判断で出航の瞬間が分かるほど科学は進展していないのが、まぁ今の現実だ。
 浜にテントを張って、毎日そこで寝るというのは、まさにそのため。日々の変化を身体で感じていくしか、出航判断ができないことを私は知っているし、漕航士たちもシーカヤッカーだからよく分かっている。それが、研究者と漕航士との意識を分けていた。
 
 さて、この漕航士たちだが、最終的には7名となった。この中から5名が実際にスギメを漕ぐが、7名のチームワークがなければ、5名が選べない。ここは相当に重要なことだ。うち2名は女性である。
 人はそれぞれが違う。その違いをどう考えるか、だな。「みんな違ってみんないい」というのは私の故郷(山口県長門市仙崎)に生きていた金子みすゞの詩だが、まさにそういう感覚。
 スギメのキャプテン(船頭だな)は、コージくん(原康司)である。彼は以前もこの連載に登場している。ダイドックという屋号のシーカヤックガイドであり、子供たちの冒険学校も主催している。彼は海旅をプロフェッションにしている男。それで食っている。最近は瀬戸内伝統航海協会なる組織を立ち上げ、愛知型打瀬船(連載21で登場した船、もちろん木造船)の再現を目指し、太平洋を海旅するという夢の実現に邁進している。
 ダイドックというのは、アラスカエスキモーの言葉で、霧の中から出てくる男といった意味らしい。アラスカの沿岸を旅していた時に、現地の長老から付けられたという。そして、瀬戸内カヤック横断隊の2代目隊長である。初代は私。
 このスギメチームは、シーカヤッカーたちがメインなのである。横断隊に参加した者は、隊士とも呼ばれるけど、2人の女性、ミッちゃん(田中道子)とハナちゃん(花井沙矢香)も隊士である。竹の舟までは漕いだ沙希も隊士である。
 ミッちゃんは、漕ぎの天才であると以前から思っており、みんなにもそう紹介している。横断隊での7日間の漕ぎで掌にマメを作らない人はいないのだけど、ミッちゃんの掌には決してマメができない。彼女はアウトドアメーカー、モンベルの社員で、今は北海道の小清水町にあるモンベルストアにいる。
 ハナちゃんは、このプロジェクトのために横断隊に参加して漕ぎの実力を急激に上げてきたし、見るからに頼もしい腕を持っている。プロ級の漕ぎが、すでにできるようなった。
 
 4人目はカツくん(鈴木克章)である。彼はシーカヤックで日本一周しており、しかも普通は1年ほどで回るのだけど、何と4年もかけて一周を果たした。本当に海から見える日本を知っている。このプロジェクトが産声を上げた頃から私のところにやってきて、参加を表明しており、草の舟の時から参加している。カツくんも漕航士として自立し始め、すでにプロである。「ひるまのながれぼし」なる屋号もある。
 5人目は、トイ(トイオラ・ハウィラ)だな。これまでも何度か紹介している沙希のパートナー(まぁ旦那)のマオリの青年(まだ20代)。物心つく頃からカナディアンカヌーを漕ぎ、プロとしてカヌーガイドもやっているし、次代の古代航海術士としてマオリの期待の星でもある。
 で、6人目といえば宗元開さん。私より2つ歳上であり、日本中のシーカヤックレースを制覇し、海外でもその名を残している伝説のシーカヤッカーだ。1991年、私と宗さんは、シーカヤックで台湾から九州までを一緒に漕いだチームメイト。ずっと日本で船舶関係の仕事をしていたけど、竹の舟の実験を始める直前に定年になって台湾に戻っていたから、これ幸いにと誘ったのである。
 彼は台湾人でもあり日本人でもあるけど、台湾の代表的なポジションでの参加。いまだに漕ぐための鍛練をやめない強者である。最近は香港のドラゴンボートチームと合流し、事前合宿の直後には蘭嶼(台湾の東沖に浮かぶ島)まで漕いで渡ったが、島の目前で転覆して回復できず全員が救助された。ドラゴンボートは流されていったけど、宮崎の都井岬に打ち上がったという後日談もある。
 宗さんは、黒潮のまっただ中にある蘭嶼の海を漕ぐことをトレーニングの一環としていたわけだ。コージくんとカツくんもまた、事前合宿後に帰国した合間でシーカヤック24時間漕ぎをやり、やはり準備に余念がなかった。
 そして最後の7人目はミノルくん(村松稔)である。与那国の教育委員会に勤める男。とはいえ、与那国の生物の魅力に取り憑かれ「よなかま図鑑」なる与那国島の動植物図鑑まで作っているし、マラソンランナーでもあり、ハーリー競漕のベテランでもある。草の舟から本格的に長距離漕ぎの練習を重ね、竹の舟も漕いだし、徐々に力をつけてきたから、今回のスギメメンバーになったのである。
 
 このスギメチームは、漕航士7名と酋長の私と雨ちゃん、それにレスキューのケンさん(黄春源)を核にして、回りを旧石器時代の研究者たちが囲んでいるというカタチになっていた。当然ながら、研究者たちは現代に生きている。だけど、漕航士たちはいかに3万年前の人間に近づくかを考えて行動していた。そこに大きなギャップが生まれる。
 研究者たちが泊まる海岸沿いのホテル下の砂浜にテントを張り、なるべくエアコンの効いたホテルには行かないようにし、さりげなく文明から遠ざかろうということもやっていた。理由は、身体を暑さに慣らすこともそうだけど、海岸に暮らすということがなければ、出航の瞬間を見逃すということが分かっていたからだ。そのことを研究者たちに説明しても理解してもらえないだろうから、黙って生活していた。

 シーカヤックのバイブルと呼ばれる本がある。「シーカヤッキングSea Kayaking」と、そのまんまのタイトルだけど、シーカヤッキングとはシーカヤックで海旅をするという意味だ。シーカヤックでしかできない旅のカタチであるが故に「旅」という言葉の本来の意味を持つ言葉がない英語では、シーカヤックに「ing」をつけて造語するしか手がなかった事情がある。日本語にはその「旅」なる言葉があるから、シーカヤッキングは海旅と言い換えられる。
 そのシーカヤッキングを書いたジョン・ダウドは、私のシーカヤックの師匠的な存在で、彼の本を翻訳した際は、私が全文を監修して本にした。すでに絶版になっているけど、英語圏では新しいバージョンも出ており、売れ続けている。
 その本の第3章は「シーマンシップ、セルフレスキュー&アシステッドレスキュー」というテーマだけど「航海術と自己救援行動、補助救援行動」という日本語にした。シーマンシップは航海術なのだ。それで、その章の最初にジョンは、以下のように書いている。
 
 「長距離の海峡横断に挑戦するような場合、出航前にできる限り時間をとってから漕ぎ始めた方がいい。休息をとり、天候を読み、潮流や海流の近況を知り、地元の人たちと話し、うまいものをたくさん食べておく。仲間たちとルートを詳細にわたって話し合うかのように、出発に先立ってカヤックや道具を充分に整備しておけば、精神的な充足感も得られる。もちろん、そうしたことに疲れてなければの話であるが。また、時にはゆったりとした気持ちでチャートを熟読してみる。そういう時間を過ごしているうちに、自然に旅立ちの時を知るはずだ。そうなった時、あなたは完璧にその世界を掌握し、集中している」と。

 漕航士たちは、ジョンの言葉通りに過ごしていた。そして自然に旅立ちの時を知り、完璧にその世界を掌握し、集中できることも分かっていた。その段階を経ないと海峡を超えての与那国島への到達は無理であろうし、その段階になるまでは、ただ待つしかない。プロの漕航士たちは、それを理解しているものである。
 私は、特に研究者たちとは一線を引いていた。スギメチームの酋長というか監督でもあるからだ。ラグビーチームの監督のように、現場には立てない(漕がない)から、チームワークが崩れないよう細心の注意をしながら過ごしていた。出航を待ち続けるというのは相当なストレスとなるし、そのストレスを引き受けねばならんから、ストレスを受け取ることも役目と自覚していた。実際に何度もチームワークの危機は訪れていたけど、その都度乗り越えていた。そして、その旅立ちの瞬間がやって来るのである。
 ということで、続きは次回へ。

(2019.08.01)


*「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」のオフィシャルサイト
https://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/

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