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内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語 photo by James Hadde

第20回 竹筏舟から刳舟へ

 昨年(2016年)から実際の航海実験が始まった国立科学博物館による「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」。今年になってからさらに実験が進んだので、その話を今回は書いておこうかな。実は、旧石器時代である3万年前頃のことが、かなりというか、それ相応に、というか、何となくというか、まぁ色々と分かってきたのである。
 このプロジェクトに関わり、それこそ3万年前という途方もなく遠い時代を想像しながら日々を過ごしていると、少しずつだが現実感のあるものが生まれてくる。実験のため、実際に海や浜辺で日々を過ごしていると、より現実的な感覚で3万年前が甦ってくる。妄想のようで、しかも現実のような妙な感覚にもなる。だから、やはり実験は大事なのであると、今更ながら確認している。
 そこで昨年からの実験のおさらいを、まずはしておくかな。昨年は、与那国島で、島に自生しているヒメガマという草を大量に使い、同じく自生しているトウヅルモドキというという蔓を割いてロープ代わりにして草を束ねて(結び方は、単純な巻き結び)「草束舟」を3艘も造った。そして、1艘はテスト用で試し漕ぎし、残りの2艘を使って80キロほど離れた西表島への航海実験を試みた。

 私(ワシと読んでね)は、航海の漕手メンバーを考えたり、必要な装備を考えたり、舟の感覚を理解したり、まぁバックアップ側にいて、漕ぐのは若者たちに任せた。もちろん、沙希もメンバーに入っていた。
 結果的には、黒潮本流の影響下にあるような北流(南から北への流れ)に出会い、西表島に到達する前に北へ流され過ぎたため、撮影用の伴走船に曳航されて南へと引き戻され、それで西表島に到達するというカタチになり、まぁ航海的にはうまくいかなかった。とはいえ、実験的にはかなりの収穫があった。草を束ねた舟というものの現実が、よく理解できたからである。

 そして今年になり、今度は竹を素材にした舟を試すという実験に入った。草ではなく、竹を束ねて舟を造るということである。素材を変えての実験である。
 分かったのは、竹を束ねるには、草より高度な技術がいるということ。蔓も相当に丈夫なものが必要になる。そこで伝統的に竹筏を使った漁をやっている台湾のアミ族の竹筏職人を実験に巻き込んで、彼にその伝統技術を使いながらも3万年前に竹を束ねた舟があったら、どういったものかを想像してもらいながら、作ってもらった。
 大雑把なイメージスケッチだけを渡し、それを元に造ってもらったのだけど、やはり職人は、自分の技術や伝統から逃れるのが難しいんだな、ということが分かった。どうしても、立派なものになってしまうのである。確かに舟として機能しなければならないから、いい加減で半端なものを造るのは、職人気質としては難しい。しかし、3万年前である。職人気質が確立していたとは思えない。高度な道具もまだなかった。それに、職人は依頼されるから造るものだ。当然、手間賃が発生し、それが職人の生きる糧になる。手間賃が相場より高かろうが、安かろうが、職人は手を抜かない、はずである。つまり、立派なものがどうしてもできてしまうのだ。
 今年6月、そういうわけで台湾の西海岸へと向かった。立派な「竹筏舟」が完成していた。アミ族の竹筏職人のラワイさんが儀式をして進水した。舟には「イラ」という名前が付けられた。遥か遠くへ、といった意味のアミ語である。

 そして実験は、台湾東海岸の沖合にある緑島への航海となった。航海といっても、見えている島である。ところが、この緑島、何と黒潮の本流の中にある。かつては監獄島だったのだが、それはまさに黒潮本流の中にあるためである。島から出たら、遅い舟では間違いなく北へ流されていく。行き先は、うまくいけば与那国島か西表島あたりになるが、当然ながら見えない島であるから、海の藻屑となる可能性は充分に高い。
 
 さて、どうやったら竹筏舟で緑島へと行けるか、が最初の課題だった。黒潮の本流は、夏は5ノットもの速度で北へ流れる。キロでいうと時速10キロ弱。竹筏舟の速度は、目一杯でも2〜3ノット。つまり、黒潮には逆らえない。当然ながら、相当南から離陸しないと緑島へは到達できない。そこで緑島がまったく見えない位置まで南下し、そこから黒潮に流されつつ横断できるように漕ぐルートを考えるのである。
 流水の中の漕ぎ方というのがあり、それをフェリーグライドと私らは呼んでいる。フェリーは対岸に渡るという意味で、グライドは滑走するという意味。対岸に渡るための滑走ということである。日本語的に言えば「瀬渡り」かな。黒潮もまた瀬なのである。八丈島などでは黒潮を黒瀬川とさえ呼ぶ。
 離陸した地点から緑島は、まったく見えない。水平線の下にある。距離も40キロほどだろうか。台湾の沿岸には南への流れがあり、漕手たちはその流れに乗ってさらに南下して行く。黒潮が近付くと北へと流されるから、なるべく南から黒潮に乗りたいと考えている。

 私は、記録用の伴走船から彼らの動きを見ていた。交代の漕手は1人しかいなかったので、基本的に交代無しという条件を彼らには突き付けていた。キビシイのである旧石器人は。
 漕手は5人。舵取りは、私が15年前に始めたシーカヤックによる瀬戸内海を東西に横断する遠征隊(瀬戸内カヤック横断隊といい、毎年11月中旬頃に行なわれる)の現隊長である原康司くん。シーカヤックのプロガイドである。
 そしてやはりシーカヤックのプロガイドである鈴木克章くん。彼はシーカヤックで日本一周を果たした強者で、昨年に引き続いてのメンバー。
 あと台湾人だけど、ずっと日本で船会社に勤め、今年3月にリタイアして台湾に戻ってきたばかりの宗元開さんもメンバーに加わった。彼と私は1991年に台湾から九州までシーカヤックで漕いだことがある。当然黒潮を超えた経験がある。彼は、シーカヤックのレース界ではレジェンドみたいな人である。私より2つばかり歳上であるけど、いまだに肉体を鍛えているおじさんである。
 あとは、台湾でシーカヤックを始めたばかりの張宏盛くんと昨年からのメンバーである沙希と与那国の大部渉くん。張くんは、まだ20代前半の若者で、シーカヤックもそれほど漕いだ経験がないので、本人は不安がっていた。大部くんが交代の漕手。
 
 漕手たちは流されていることを自覚している。張くん以外は漕ぎのベテランだったり長い航海を経験していたりするメンバーである。あまり心配はない。水平線の下にある緑島だけど、島が見える位置から南下してきているから、島の位置は理解している。といったことが、伴走船からも見て取れた。

 結果的には、自力で緑島への到達は、日没と共に諦めた。昼過ぎから南風が強くなり、どうしてもフェリーグライドができなかったためである。もっと舳近くの位置に漕手が必要だったかもしれないと反省した。とはいえ、島の位置と自分たちの位置の変化は、太陽の傾きと巨大な台湾島の山々で理解していた。15時間近く漕ぎ続けたので、竹筏舟を漕ぐという漕手としての成果は充分に遂げていた。
 
 そして10月になり、今度は刳舟を使った実験を行なった。刳舟は「くりぶね」と読む。いわゆる丸木舟だが、丸木を刳るから刳舟である。英語ではダグアウトカヌーDugout Canoe、つまり刳ったカヌーとなる。刳舟は英語的にはカヌーだ。だから、今のカヌーは、元々が刳舟だったことになる。
 この刳舟というかカヌーの歴史は、日本では実に古いことがハッキリ分かっている。日本はカヌーの故郷的なところ。何しろ世界最古の刳舟建造用石斧が鹿児島の栫ノ原(かこいのはら)遺跡から出土しているのだ。1万2,000年ほど前(縄文草創期の終わりから早期にかかる)の丸ノミ型石斧と呼ばれるもの。刳舟の現物だって古いものが出土している。およそ7,500年も前のもので、ほとんど世界最古。千葉県市川市の雷下(かみなりした)遺跡から出た。ムクノキ材で舟底部分が出てきたのだけど、その長さが7.2メートル、幅が50センチほど、元の長さと幅は、当然ながらもっと長くて広い。
 7,500年前というと、まだ縄文の早期と呼ばれる時代だけど、3万年前を考えている私の頭では、なーんだ!最近のことじゃん、となってしまっている。縄文時代は今に続く近代のような気がしている。ちょいと大袈裟だけど。
 
 しかし、1万2,000年前からカヌーがあったとなれば、3万年前からあったと仮定することも可能だろう。現代のカヌーと縄文のカヌーを比較すれば、その違いが理解でき、1万2000年という時間的な変遷が分かるかもしれない。そこで、プロジェクトでは縄文前期になる6,300年前の京都は舞鶴市の浦入(うらにゅう)遺跡から出土したカヌーを、さらに市民が再現したカヌー(舞鶴カヌー?)を漕がせてもらうことにしたのである。
 浦入遺跡のカヌーは舟底部のみで、その出土品から推測して長さ8メートル、幅80センチほどと、かなり大型のカヌーである。外洋に近いところから見つかったので、当然ながら外洋航海がある程度はできるはずである。材料はスギだ。直径2メートルはあろうかという巨木を材料にしたようだ。

 再現した舞鶴カヌーも、大体は同じサイズだった。刳りが足りないとのことで、私らのためにさらに刳ってもらった。このカヌーの仕上げと同時に、能登半島でスギの巨木を旧石器時代の石斧で切り倒せるか、という実験も行なわれていた。こちらは首都大学が中心になっての実験。彼らが使った石斧は、縄文時代の丸ノミ型石斧ではなく、もっとプリミティブな刃部磨製石斧といわれる旧石器時代の石斧である。この石斧が、実は重要なのだ。
 刃の部分だけを磨いた石斧だが、これがまた不思議な存在で、本州島と九州島、それにオーストラリア大陸からしか出土しないのである。3〜4万年前の日本とオーストラリアだけで使用されていた刃部磨製石斧。その両方ともが海を渡って人類が到達したところである。この石斧を使っていた連中こそが、海を渡った最初のホモサピエンスかもしれない。石斧の謎が、そのままカヌーの存在と重なってくるわけだ。もちろん真偽は分からないが。
 
 ということで、舞鶴市役所の協力のもと、舞鶴の北に浮かぶ冠島への往復漕ぎを行なった。出発した浜は日本海に面した竜宮浜海水浴場。距離にして片道10キロほどの往復である。
 漁港の中で、まずは試し漕ぎをしたが、刳舟はやはりカヌーであることがハッキリする。漕ぎの具合もカヌーと同じである。こうなると、櫂の方に意識が行くようになる。櫂の具合が、漕ぎに直接的に影響するからだ。そこで、私は沖縄のサバニ用の櫂(ヱークという)を使って漕いでみた。サバニを漕ぐ際にいつも使っているヱークである。もう10年以上使っている代物。
 ちなみに、サバニという沖縄の漁舟も、元来は刳舟であり、今も刳舟の構造を残して作られているから、現代に残る刳舟の最終形といってもいいものだ。沖縄ではいまだに木造(やはりスギ)のサバニが造られている。用途はというと、漁じゃなく海洋スポーツとして使用されている。
 
 昨年来、実験に使ってきた櫂は、水を掻く力があまり強くない。この櫂もサバニ大工の修業中である高良和昭くんに削ってもらったもので、彼にはヱークじゃなく、原始的な櫂を想像して作ってと頼んだもので、学術的な要素はない。彼なりに3万年前っぽく作ってくれたものだ。
 大体、櫂の漕ぎというのは、水を掻くものだ。掻くための道具だから「かき」が「かい」になって櫂という字が当てられている。掻くというのは、水を押しのけるという意味でもある。なので、櫂を漕ぐのは押す力で漕ぐ。引く力で漕いでいたら、すぐに疲れてしまうのである。「櫂は3年、艪は3月」という諺があるけど、櫂漕ぎは難しいもの。何せマスターするのに3年もかかる、ということだから。
 で、ヱークで漕ぐと、これがまた具合が良いのである。まさにカヌーやサバニ漕ぎと同じ感覚で舞鶴カヌーは進んでいく。これなら往復20キロぐらいは普通に漕げると思った。6,300年という時間をひとっ飛び!というレベルで感じられるのである。

 ということで、実際に冠島までの往復漕ぎのメンバーは、竹筏舟の5人衆に加え、草束舟の漕手メンバーだった与那国役場職員で、与那国島の生態学研究者でもあり、マラソンランナーでもあり、ハーリー漕ぎもできる村松稔くんが加わった。
 沙希の相棒でもあるニュージーランド(アオテアロア)マオリのトイオラ・ハウィラくんも昨年に続いて加わった。トイオラくんは、物心ついた頃からカヌーを漕ぎ、少年時代からカヌーガイドをやり、アオテアロアからラパヌイ(イースター島)までの往復カヌー航海(帆走ダブルカヌー)を経験し、今もポリネシア航海術を学んでいる男子である。
 さらに、伊豆半島でシーカヤックガイドをやりながらカヤック用パドルメーカーでもある塩島敏明さんもやって来た。彼にも3万年前の櫂を考えてもらいたいからである。還暦過ぎても現役のガイドである。
 そして、冠島航海はあっという間に終わった。難なく、まるで日常のようだった。さすがにカヌーであると実感した次第である。こうして3万年前の航海実験は、少しずつだけど着実に進んでいる。来年は、再び台湾に飛んで、もっと素朴に作り替えた竹筏舟か、刳舟が手に入れば刳舟でも実験してみようと海部陽介プロジェクトリーダーは思っているようだ。
 草束舟でもなく竹筏舟でもなく、刳舟(カヌー)であるとするなら、ほとんど結論が見えている気がしないでもない。とはいえ、まだ櫂についての考察がまったく足りない。プロジェクトメンバーで考古学者の池谷信之さんには、日本全国で出土している縄文時代の櫂についての考察が課題として与えられている。これが整理されれば、3万年前の櫂にもある程度は近づけるかもしれない。
 しかし、プロジェクトの本番と称している2019年の台湾から与那国島への黒潮横断航海だけで、このプロジェクトが完遂するとは思えんようになってきたな。まぁ、当たり前か。

(2017.12.15)

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