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内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語 photo by James Hadde

第19回 レコフ島へ

 2017年2月24日にニュージーランドのオークランド空港に着きました。ここに来るのは1年半ぶりです。空港から東沿岸部のネピアまで、車で5時間ほどの移動です。ネピアに着いたときには、真っ暗でしたが、カヌーが停泊している港に行くと、たくさんのクルーがいました。
 
 カヌーを見るのも、カヌー・ファミリーに会うのも久しぶりです。みんな暖かく迎えてくれました。私が乗って航海をしたカヌー「ハウヌイ」も停泊していました。ここ、ネピアに1週間ほど、ニュージーランド中のカヌーが集まっていたのです。カヌーの集合と同時に2年に一度行なわれるカパ・ハカ(ニュージーランドの先住民マオリの伝統芸術)の全国大会もやっていました。ハウヌイはその翌日、普段停泊しているオークランドに戻ったため、ぎりぎりで懐かしいクルーに会えたことはラッキーでした。

 ネピアに着いてからは、3日ほど天気待ちをしながら、レコフ島(モリオリ語でチャ タム島のこと)への航海に向けての準備です。初めて会うクルーたちと時間を過ごし、伝統航海カヌー「ナヒラカ」について教えてもらいます。どのカヌーにも、それぞれのやり方があります。今回レコフ島へ行く目的としては、“ワカ・タプの完結”(当コラムの「第17回ワカ・タプの完結in レコフ島」をご覧ください)、そしてもう一つの大切な目的が、“次世代ナビゲーターを育てる”ことです。

 今回のクルーは全員がマオリです。今まではハワイ人の中に一人が当たり前でしたが、今度はマオリの中に一人。初めての経験です。マオリの人々はどこか、懐かしい感じのする人々です。アオテアロア(ニュージーランド)はポリネシアの中で最後に人々がたどり着いた島です。彼らは最後の航海者なのです。その事実に何らかの関係があるのかもしれません。言葉の面でも、考えの面でも、自然に対する考え方に対しても、どこか似ている気がするのです。
 
 話はクルーに戻りますが、半分はなんと10代です。ほとんどがポゥ・ナビゲーターであるジャッコーさんのナビゲーション・スクールの生徒です。往路は、現在ナヒラカをジャッコーから任されている、次世代キャプテンのタマハウとトイオラ(どちらも20代の男子)がナビゲーションを任されました。私はほかのクルーと帰路にナビゲーションをすることになりました。

 出発まで毎日ナビゲーションについてもジャッコーから学びます。南半球でのナビゲーションは北半球にあるハワイでのナビゲーションとは、かなりと言っていいほど違います。見える星も、風の向きも、鳥たちも、太陽の動き方も。ポゥ・ナビゲーターそれぞれが独自の方法を見出し、ナビゲーションしています。ハワイのナビゲーターたちも、基本は同じなのですが、それぞれ個人に合った航海術になっていきます。私もいつか自分の道が見つけられるのかなぁ。
 
 ナヒラカには寝床が5人分しかありません。なので、ウォッチ(見張り)もほかのカヌーとは体制が違います。ほかのカヌーはだいたいが3グループに分かれて、4時間ウォッチをこなし、8時間休みだったりするところを、私達は2シフトに分かれ、4時間のウォッチ、4時間の休みという体制です。寝床は、違うシフトの誰かとシェアします。ナヒラカは「ホクレア」よりも小さいので、本当にプライバシーと呼べるようなスペースはありません。でもそこがナヒラカのいいところでもあり、クルーを親密にさせてくれる理由なのかもしれません。
 
 レコフ島はネピアから南東400海里(740キロ)のところにあります。南半球では南に行けば行くほど寒くなります。すでに秋のニュージーランド。レコフ島に近づくほど、寒くなっていきます。

 4時間オン、4 時間オフというシフトは、体のリズムが慣れるまではきついです。約5日間の短い航海だったので、日記を書いたり、本を読んだりという余裕もなかなかありませんでした。ウォッチ、ナビゲーションの勉強、そして体を休めることに努めました。ナヒラカは普段タウランガにいます。ほとんどのクルーがタウランガからワイタンギ(オークランドの北にある町)、そしてネピアまですでに航海していたので、彼らの体はナヒラカに順応していました。なるべく早く体を慣らすことが、自分の一つの課題でした。なので、出発前の3日間はなるべくカヌーの上にいました。出発当日、マオリのカラキア(祈り)、ワイアタ(歌)、ハカを行なってレコフ島に向かいます。久しぶりのカヌー生活。ここ1年半、陸で起きた色々な記憶を飛ばして、ついこの間までここにいたようなそんな気持ちがしました。

 出発して2日目、アマゾン・ウォリヤーというオイルを掘る巨大な船に出会いました。ニュージーランドで大きな問題となっている船です。彼らは海底にあるオイルを探していますが、オイルを探すために行なっている地震探査は海洋哺乳類、そして海洋環境に多大なる被害を与えているのです。海に生きる者として、私達の気持ち、そしてイカロア・ラフィティ地域(ニュージーランド北島の北東地区)の人々から預かった手紙を読み、アマゾン・ウォリヤーに無線越しに伝えました。
 
 海上は思ったよりも寒く、レコフ島に近づくにつれ、うねりも高くなり、風も強くなりました。ナビゲーターの2人は6時間交換でナビゲーションをしながら進みました。クルーの中には初めて陸から遠く離れる人もいましたが、ナヒラカのクルーは本当にタフな人ばかりでした。でも初めての外洋航海としては決して簡単な航海ではありません。女子クルーは私を含め4人。そのうち2人は初めての外洋航海でした。その1人は、初日を過ぎてから具合が悪くなってしまいました。今までカヌーの上で船酔いになったり、具合が悪くなったりしたことがない子でしたが、海の上ではよくこういうことがあります。誰にでも起きる可能性があるので、ベテランでも侮れません。そんなときのために備えてやるのがトレーニングです。ベテラン・クルーがカバーしあいながらの航海です。

 ナビゲーターにとってもチャレンジな航海でしたが、不可能ではないとタマハウとトイオラは話していました。ジャッコーからリアルタイムで学べることは、彼らにとって最高の機会です。
 
 レコフ島は私が航海した最も南の島になりました。観光客は全くと言っていいほどこの島にはいません。なので、ここへ行く日本人はもちろんのこと、ニュージーランド人もほとんどいないそうです。飛行機代も日本からニュージーランドまでの往復とほとんど変わらないらしく、いまだに携帯電話は使えません。

 レコフ島はモリオリという先住民がもともと住んでいたところです。今では100パーセント、モリオリの血を受け継ぐ人はいません。それはハワイ人もマオリも同じです。実は今回のクルーに3人のモリオリ・ルーツを持った人たちがいました。その中の1人、マウイさんは今回が初めてのナヒラカでの航海です。
 
 とても驚いたのですが、彼は草舟をニュージーランドで作って、航海したことがあるのです。私も昨年、草舟の製作を手伝わせていただき、漕いだことから、この出会いに感動しました。そして彼のおじいさん、トミー・ソロモンさんが最後のモリオリなのです。

 彼らの歴史はたくさんの先住民が体験した悲しい歴史の1つでした。彼らも元々は、戦いをしていた部族だったそうです。でもレコフ島にたどり着き、小さな島という環境の中で、争っていては生きていけないことに気づきました。
 
 そして今から600年前、モリオリは神と条約を交わしたそうです。“人々は人々の命を、人々の手で奪ってはいけない”。命については神だけが知ること、なのです。その条約はモリオリの儀式の中で父親から息子へ繋いでいったそうです。儀式はトゥアフ(神聖な場所、日本で言えば神社のような場所)で行なわれ、モリオリが条約を結んだ時に、今まで使っていた武器をそこに収めたそうです。父親から息子へ条約を繋いでいくときの儀式では、父親が当時の武器を息子に受け渡し、息子がまたその武器をトゥアフへ収めなおすことで、条約を更新したそうです。その時代に平和の条約を作ったのはポリネシアの中でモリオリだけでした。彼らは祖先から受け継いだこの条約を破ることはありませんでした。

 その後、西洋人が入ったり、マオリが来たりして、たくさんのモリオリが殺されてしまったそうです。それからは、モリオリでいることは恥ずかしいことで、自分にモリオリの血が流れていることは他言してはいけないこと。つい最近までそうだったと、モリオリ・ルーツをもつクルーが話してくれました。彼女は小さい頃におばあさんからそう聞いたそうです。
 ニュージーランドの歴史では“モリオリは弱いから戦いに負けた”とされていますが、マウイさんが言うには“モリオリは戦わなかった”と。彼らは殺され、侵略されても決して平和という心を乱さなかったのではないかなと、マウイさんのお話を聞いたときに思いました。

 そんな歴史のあるレコフ島。滞在予定は2日ほどでしたが、大きな嵐がニュージーランドを横断し、レコフ島に向かっていました。今出航しても、嵐に押し戻されてしまうため、出発は10日後になりました。私達は交代でアンカーウォッチ(カヌーがアンカーを降ろしていたり、陸に停泊したりしている間の見張り)をし、残りのクルーはモリオリのマラエ(集会所と言われる家。大人数が生活するのに必要なものは全部揃っている。寝るときは雑魚寝。ニュージーランドのマオリはそれぞれの部族がその中でまた小さいグループに分かれていますが、その一番小さい区分がそれぞれマラエを持っています)に泊まりました。ホテルのようなマラエでした。
 
 滞在中はアンカーウォッチ、子供たちのカヌー見学、そして帰りに向けての準備以外は基本的にはみんな自由に過ごしていました。私はマウイさん、マウイさんの子供達とお友達、そして数名のクルーと一緒に魚釣りに行きました。クルーの何人かは素潜りをして、大量のアワビを採ってきました。

 マウイさんのお友達のおじさんがすぐさまアワビを切ってくれて、釣竿を持っている私に“はい”と渡してくれました。私が口に入れようとすると、“違う違う、釣りの餌だよ”と言われ、びっくり。日本では“そんなこと、もったいなくてありえない”と伝え、私は結局釣り針にもつけましたが、自分でも食べました。
 
 陸で釣りをしたことがあまりないので、マウイさんの息子さんに聞くと、“投げて、ゆっくり糸をまけばいいよ”と言われ、言われた通りにやってみたら、すぐに30センチぐらいのタラが釣れました。川には巨大ウナギもいました。小さな島で、周りに島がないからといって、リソースが少ないわけではないと思いました。現代人にとって便利なものは確かに少ないかもしれませんが、ものすごく豊かでした。今までの航海で立ち寄った島の中では一番と言っていいほど(お世話になったどの島もそれぞれ本当に美味しかったのですが)、美味しいご飯を毎日食べさせていただきました。

 正直帰りたくないなあと思いながらも、また出発のときがきます。帰りは、違うウォッチの2人が1組になり、ナビゲーションをしていきます。ほとんどが初めての子たちです。私は19歳のタバイと組んで1日を任されました。彼はお母さんがマオリでお父さんがヴァヌアツの人です。航海を始めて間もないにもかかわらず、すごく飲み込みが早く、一生懸命でした。
 
 今回の訓練では自分たちがどこに向かっているかを記録し、実際の方位とどれだけ合致しているかをみる訓練でした。昼間は太陽が水平線に近いとき、夜は星や月がでている間は、今までの勉強と経験でなんとかなります。難しいのは太陽が高いときと、星や月がない夜です。うねりと風を見ながら方向を定めていきますが、これは本当に難しいです。経験に経験を積むことでしか、培われない航海術です。

 あとはステア(舵取り)がものすごく大切だということ。ジグザグにカヌーが進むと、実際にどこに向かっていたか割り出すのが難しくなるのです。慣れている人でも、ちょっと気をそらすと、すぐにずれてしまうときもあります。私達が割り出した方角は2人で7海里ずれていました。ジャッコーには10海里以内なら合格と言われていたのでギリギリでした。私達は海流を読み切れていなかったと指摘されました。海流は目に見えないものです。台湾沖、手漕ぎの竹舟で黒潮に入ったときの経験を思い出します。海流は海全体が動いているような感じなので、流されている感覚はありません。それはどうやったら見えるのか、感じられるのか、私にはまだ分かりません。

 ニュージーランドに着いてからは、あっという間にまた日本に舞い戻りました。そこからはまた違う人との別れが待っていましたが、まだそのことは自分には書く自信がないので、いつかみなさんにも伝えることができるときが来ればいいのですが・・・。
 
 最後になりますが、ディズニー映画『モアナと伝説の海』について少しだけ触れたいと思います。モアナの声優に選ばれた女の子はハワイの子でしたが、モアナの舞台は実は南太平洋の島です。私がちょうどハワイに戻っていた2015年10月に、映画のディレクターとプロデューサー、そしてモアナ役のアウリイちゃんを、「ヒキアナリア」に乗せてワイキキの海に出ました。カヌーのナビゲーターの女の子が主役の作品に心がワクワクしました。世界中の“子供達”が見てくれるからです。
 
 私の妹が言ったことで、面白かったのが「こんなに身近に感じるディズニーの作品は初めてだね」という言葉です。きっとカヌーのことを知らない子供たちにしたら、この作品も夢みたいな物語なのかもしれませんが、私たち家族、そしてカヌー・ファミリーにとっては、こんなにリアルにカヌーの世界が表現されている作品はほかにありません。

 とても幸運なことに試写会で見させていただくことができましたが、正直、航海のシーンには驚きました。実際の映像より、アニメーションのほうが私たちが見ているカヌー世界をうまく表現できるのかもしれないなぁ、なんて思いました。ぜひ子供たちと見ていただけたらと思います。

(2017.10.07)

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