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内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語 photo by James Hadde

第6回 「海に」生きるということ

 再び、親父の出番である。今回の、私(ワシと読んでね)の話は、「海に」生きるということ、である。「海で」生きるではなく、「海に」というところがミソである。
 人は陸上の動物だから、海では生きていけない。でも、彼らは海で生きてんじゃん、といわれる人たちはいて、そんな彼らは主に海で仕事をしている人であるが、そういう人たちが「海に」生きているというわけでもない。海で生きている人が、海に生きていることもあるし、そうでないこともあるということだ。この「に」と「で」という格助詞の違いが、実は大きい。
 
 「に」という格助詞は、広辞苑の第五版によると、時間的、空間的、心理的な、ある点を指定するのが原義だという。多くは動作や作用、存在を表す語に続いて使われるとあり、後世になると、場所を指示する意味としては、次に来る語が存在など静的な意味の場合に用い、動作や作用など動的な意味の場合には「で」を用いるように分かれたらしい。時間的、空間的というのは、言い換えると世界ということである。
 一方「で」という格助詞は、「にて」が接合してつづまったものらしく、動作が行なわれる場所そのものを示している。
 
 つまり、海に生きる場合は、心理的に自分は海という世界に存在しながら生きているのであり、海で生きる場合は、海で作業しながら生きているという違いになるんだろう。海に生きるとは、海という世界と一体化しながら生きているという感覚を持っているということだろうな。なかなか哲学的だけど、実はその違いが分かるまでには、相当な時間を費やすし、相当な空間も移動しなければならない。要は、長い海旅をしなければ、理解できない違いとでも言えばいいかもしれん。
 
 と、のっけからちょいと重い話になってしまったが、先日、太平洋をハワイからニュージーランドまで古代ポリネシア式の帆走カヌーで海旅を経験して一時帰国している娘を見て、そう思ったからこういう話題になっている。彼女の変化を見て、海に生きることと、海で生きることの大きな違いが、私には明らかに理解できるようになっているのである。
 
 とはいえ、そういう思いになったきっかけがあった。それは、私の名前を、海上保安官だった父親が「正洋」にしたことだ。彼は「正しい洋」になって欲しいという意味合いで、そう付けたようなのだが、ある時、「洋を正す」という意味にも取れるんじゃね?と、気付いたことがあった。そこで「海に」という意識がハッキリしたのである。
 「ははぁ、私は海洋に対する人のあり方を正さねばならんのだな」と。
 洋という字は、ナダとも読むんだけど、ナダは、灘とも書き、陸に近い浅い海のことでもあるが、本義は風波が荒く、航海が困難な海のことである。洋を正すなんて、とてつもなく困難なことだけど、それが生きる役目なんじゃねーの?と、私は勝手に思ったのである。
 サハラ沙漠という場所を中心に生きていた20代半ばから30代半ばまでの生き方も、海に生きていたようなものだった。沙漠は海だ、という言い方があるんだけど、沙漠をクルマやオートバイで走っていた時も、海に生きるという意識があったということが、還暦を目前にしてようやく理解できつつある。沙漠の茫漠たる世界は、海洋の茫洋たる世界と相通じるからである。

 大体、私も含め、多くの日本人は基本的に日本列島で生まれ、日本列島で育ち、日本列島で暮らしている。一応は日本国という国家の国民ではあるんだけど、その前に日本列島人であるという感覚がなければならないと、私は強く思っている。列島が海に囲まれているという現実を忘れないで暮らすことが、海に生きることの第一歩である。
 日本列島ってのは、四大島(北海道島、本州島、四国島、九州島)だけじゃなく、それらの付属島嶼からなる弧状の島々を意味している。弧状の島の連なりがいくつもあり、それぞれを千島弧、東北日本弧、西南日本弧、伊豆マリアナ弧、琉球弧と呼び、すべてを併せて日本列島である。今の日本国よりもっと広い範囲にまで日本列島は連なっていて、この弧状の島の連なりを、かつて作家の島尾俊雄さんは、ヤポネシアという言葉で表現した。私も、ずいぶん前から日本列島はヤポネシアだぜ、と書いてきた。日本列島人ってのは、ヤポネシア人であると。
 
 ヤポネシアという表現は、世界的にポリネシアやミクロネシア、メラネシアといった、太平洋の島嶼群をギリシャ語で呼ぶように、日本を意味するヤポニアとその島々ということである。ネシアってのも古典のギリシャ語で、島々を意味する言葉だ。インドネシアもやはりそういう意味である。言語学には、オーストロネシア語族と言う区分もあるが、それは南島諸語を話す語族という意味で、かつてはマレーポリネシア語族などと言っていた。ネシア語だからして、島人の言葉ってことになる。オーストロは、ラテン語で南を意味するオーストラリスから来ている。

 このオーストロネシア語族に、日本語が入っているという説もある。オーストロネシア語族の北端にいて、語族の始まりとされる人たちは、台湾原住民(台湾の人たちは先住民ではなく原住民と表記するんです)だといわれ、ポリネシア人の祖先も台湾から出て行った人たちだという説が今のところ有力なのだけど、琉球弧を考えると、そこには当然ながら台湾までが入る。日本語の成立過程に、オーストロネシア語の影響があることは、割と常識的な話にもなっている。例えば「わくわく」とか「どきどき」といった単語を重ねる擬音語や擬態語なんかは、オーストロネシア語との類似性があるというのである。まぁ、台湾が含まれるヤポネシアという概念からすれば、ヤポネシア語はオーストロネシア語族に入ることになるわな。
 
 さらに、オーストロネシア語族がいる範囲だけど、南北では琉球弧の台湾からニュージーランド(アオテアロア)、東西では、東端がポリネシアのイースター島(ラパヌイ)から、西端はマダガスカル島までである。太平洋のみならず、インド洋にまでに分布しているのであるから、すげぇー、のである。海に生きるということは、こういう視点があるかどうか、という点も重要である。

 それで、具体的に海に生きるってことは、どういうことなのかというと、そりゃもうシーカヤックやカヌーで海旅をした上での生き方、ライフスタイルということに他ならない。海旅をしなきゃ、海に生きるという意味が分からんのだ。
 じゃあ、海旅する時間がない人は、どうすりゃいいのさ?である。でも、大丈夫なのだ。それは旅という言葉の意味を知ればいいのである。
 
 旅という言葉の語源は、日本の民俗学の始祖である柳田國男さんが書き残していた。彼がいうには、旅ってのは、本来は「タブ」であると。漢字で書くと「賜ぶ」や「給ぶ」、さらには「食ぶ」でもある。「賜び給ふ(たびたまふ)」という言葉もあり、意味はといえば、お与え下さるである。旅は、何かを与えてもらう行為ということだ。食べるものだって、天からの授かりものである。
 だから、海旅というのは、海から何かを賜るということであり、実際に海旅ができなかったとしても、海から何かを賜っていると実感しながら生きていけば、海に生きることができるというわけさ。それには、日々海に対して思いやり、実際に海を見に行くとか、海産物を食べる時には海に感謝するとか、そういった心理的、行動的な行為が求められる、と私は思うのである。
 
 かつての日本人は、ほとんどがヤポネシア人だったと、私は思っている。例えば、小学校唱歌にある「我は海の子」という歌が生まれた明治43年(1910年)頃の日本の総人口は、6000万人ほどだった。その年は、明治の漁業法が制定された年で、漁師は300万人もいた。国民の20人に1人が漁師だった計算だ。
 日々、船を操って海へ出て行き、魚を獲りながら暮らしていた彼らは、海で生きていたけど、唱歌になるぐらいだから、海にも生きていたはずだ。あの歌の歌詞は、戦後、連合国軍最高司令部(GHQ)によって後半の歌詞が軍国的だとして3番までしか教えなくなった(7番まである)のだけど、特に4番の歌詞なんかは、海旅の歌詞である。どんな歌詞だったかというと、以下の通り。
 「丈餘の櫓櫂操りて、行手定めぬ浪枕。百尋千尋、海の底。遊び慣れたる、庭廣し」
 である。一丈(約3メートル)余りの櫓櫂を漕いで、方向も決めずに船旅に出る。水深180メートルや1800メートルもある大海原へと。そんな広い海が、我らが慣れ親しんだ庭なのだ、といった意味だ。浪枕なんて言葉は、まさに海旅のことで、ヤポネシア人を彷彿させるのである。
 
 そんなヤポネシアだった日本が、今や漁師の数たるや、17万人しかいない。1億3000万人のうちの17万人である。何と764人に1人しかいない計算だ。戦後すぐの頃だって、100万人ほどの漁師がいたので、当時の人口の7000万人に対してだから70人に1人ぐらいはいたのである。大震災が起こる前から漁師は、毎年1万人レベルで減り続けていたから、あと17年で日本から漁師がいなくなるという話にさえなってしまう。もう本当に危機なのだ。
 さらに、船乗りの激減ぶりは、もっと著しい。外国航路に乗る日本人船員は、わすか2000人ほどにまで減少しており、国内航路の船員だって2万人程度しかいない。日本の輸出入品は99.7%も海運に頼っているんだけど、日本人で海へ出て働く人は、もはやほとんどいないのである。異常な事態が、実際に起こっていること、ご存知でしたか?

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 日本の海は、もはや手の施しようがないような状況だが、とはいっても海に生きる人たちが増えるためのわずかな望みもある。それが、私の専門であるシーカヤックの世界。シーカヤックの体験者は、日々増加していて、今や漁師の数より多いかもしれない。私が住んでいる三浦半島の西岸(相模湾の東浜というべきか)の海には、漁船はいなくてもシーカヤックはいるという光景が、しばしば見られる。週末など数百艇のシーカヤックが浮かんでいることさえ珍しくなくなってきた。
 都会に住み、海へ行かない人たちは気付いていないだろうけど、海に生きている人なら、その増加ぶりは知っているはず。最近はシーカヤックに加えSUP(スタンドアップパドル)ボードを漕ぐ人たちも急増している。このSUPってのは、大型のサーフボードのような板の上に立ち、長いパドルを使って海を散歩したり、小さな波に乗ったりするための道具。手軽なので、これがまた世界的に急増しているのだ。
 
 ちなみに、アメリカのシーカヤックを始めとするカヌー人口は、5000万人もの規模がある。3億人の人口を抱えるアメリカだけど、実に6人に1人が、カヌースポーツを楽しんでいるという報告がある。1980年代に始まり、90年代に拡がり始めたばシーカヤックだけど、この30年ですでに150万人ほどがシーカヤックを楽しんでいるし、その数が日々どんどん増えている。日本の釣り人口が1000万人といわれるから、カヌー人口の規模が想像できるはず。カヌー人口の増加は、アメリカのみならず世界的な傾向で、だからこそオリンピックにもカヌー競技がある。
 
 私は、日本カヌー連盟の傘下にある日本レクリエーショナルカヌー協会の理事を無償ボランティアでやっているけど、連盟の中にあるシーカヤック・オーシャンカヌー委員会の委員長も拝命している。日本カヌー連盟というのは、日本のカヌー競技を統括するような組織なんだけど、正式なカヌー競技にシーカヤックは入っていない。でも、世界的に海のカヌーであるシーカヤックが増加しているため、国際カヌー連盟からシーカヤックやオーシャンカヌー部門の必要性を問われ、一応の組織としている。
 日本のカヌー競技は、海ではなく川と湖のような静水で行なわれてきたから、海に対する認識がまったくなかった。そこで、長年シーカヤックをやっている私に、そんなポジションを務めてくれるように要請されたので、ボランティアで引き受けている。
 このことが、明らかに世界的には海でのカヌースポーツの普及が進んでいることの証なのだ。娘が乗り込んでいるポリネシア式の帆走カヌーは、海のカヌーのシンボルでもあり、人類が太平洋の島々へと拡散した際の道具だったこともあって、神聖さを伴ったシンボルになりつつある。彼女がクルーを務めるハワイのホクレア号は、ハワイ州の州宝にさえ指定されているほどだ。

 ということで、なぜ海に生きることが重要かが、少しはご理解いただけただろうか。閉塞感溢れる21世紀初頭の日本は、そこに住む人たちが、海に生きていないからなのである。日本人よ、ヤポネシア人に戻れ!である。
 オーストロネシア語族は、面積で考えると、語族として世界でもっとも広い範囲に分布している。日本人がヤポネシア人になり、同じ語族がたくさんいるんだぞ、という認識になって行動していけば、日本人はヤポネシア人として果たす役割が見えてくる。同語族意識として、東はイースター島、西はマダガスカル島まで。さらには、南太平洋の島々のすべて、東南アジアの島々までが、身近な存在になっていく。
 オーストロネシア語族は、島(しま)語族であるからして、島から大陸内のいざこざを、考え行動することになる。いや、島語族は、海に生きているから、海からの視点で、陸の問題を考えるようになる。当然ながら島語族は、直接的に接している外界である海に対しても、敏感に問題を解決しようとする。
 
 地球の表面には、海と陸しかない。大陸であっても、大きな視点で考えれば島である。さらに大きな視点を持つと、地球だって島である。「地球は島」という概念が今の人類には、もっとも必要なことである。環境問題は、言葉を変えると外界問題であり、アウトドア問題である。
 なので、地球は我々の島、英語にするならOur Island Earthという認識で、生きていくのが、海に生きるということになるんだな。

(2015.02.02)

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