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内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語 photo by James Hadde

第11回 白く長い雲の島へ

 前回の記事を書いてから時間が経ってしまいました。これまでを振り返ると、私の近況はあちこちへと移動ばかりしていて自分でもびっくりしています。これを書いている2016年1月は、再び日本に戻っています。前回の話は、ニュージーランドからクック諸島へのカヌー旅について書きましたが、今度はクック諸島からニュージーランドへの帰路の旅について書いてみます。
 
 2015年6月終わりにクック諸島のラロトンガ島に到着し、8月の上旬までの約2ヶ月間はそのままクック諸島のラロトンガ島で過ごしていました。クック諸島は、諸島と呼んでいますがひとつの国家です。ニュージーランドと自由連合制を取っています。2015年は、クック諸島が国家として自治を始めて50周年の節目にあたり、島々では様々なお祭りがあり、私も色々な行事に参加していました。
 もちろん、私にとって最大の目的は、テ・マナヴァ・ヴァカTe Manava Vakaフェスティバル(カヌーの魂の祭りという意味です)に参加することです。そのお祭りや儀式は、ラロトンガ島からクック諸島にある他の4つの島(アイトゥタキ島、アティウ島、マウケ島、ミティアロ島)にカヌーで渡り、それぞれの島でも行なわれます。

 島々には合計で5艘のカヌーが集まり、それぞれのクルーたちが「ハカ」を披露します。ハカというのは、あのラグビーのニュージーランド代表チームであるオールブラックスが試合前に踊るもので、英語ではPreparation for War、直訳すると“戦いへの準備”と呼ばれるものです。でも元々ハカは、カヌーが他の島に上陸する際、自分たちの出自を伝えるための踊りと口上です。
 フェスティバルで私もクルーとしてハカを踊りましたが、あの瞬間は本当に鳥肌が立つほどの興奮でした。ハカを踊ることで、出会ったばっかりの人でもカヌーという魂が息づく船に乗っている者同士ということで通じあうものがあり、他のクルーたちとはすぐに仲良くなります。カヌーがクルーたちをつなげてくれるのです。だからカヌーには魂があると、私は信じています。

 島々を回ったあとは、クック諸島のカヌーであるマルマルアトゥア号、とアオテアロア(ニュージーランドの別名です)のハウヌイ号は、ラロトンガ島に留まり、ファアファイテ号はタヒチへ、ナウロファ号はサモアへ、テ・マタウ・ア・マウイ号はアロテアロアへと、それぞれが自分たちの島へ帰りました。カヌーとの別れはいつも寂しいものですが、私がカヌーに乗り続けていれば、またいつかは会えると思っているので、みんなを、ア・フイ・ホウA HUI HOU(またね)と言って見送りました。

 ラロトンガ島でアルバイトをしながら待機していましたが、8月上旬には、アオテアロアへの帰路に乗ることになったハウヌイ号のクルーが、ラロトンガ島に集まり始めました。中には、今回が初めての外洋航海というクルーも数人いました。
 
 クルーと一緒に飛行機でやって来たキャプテンのホトゥロア・カー(通称アンクルホトゥ)さんから、次の航海ではウォッチキャプテンを任せるからね、と言われました。アンクルホトゥは、航海の準備のためにクルーと共にラロトンガ島へ来たのですが、次の航海ではグレッグ・ギャロップさんがキャプテンを務めることになっていました。アンクルホトゥは、準備が終わったらアオテアロアへ戻ります。
 
 ウォッチというのは、日本語では「当直」といいます。ウォッチキャプテンは、当直グループの班長のことです。ウォッチは3交代制で各班4人から5人がメンバーになり、そのうちのひとりがウォッチキャプテンに指名されます。船長であるグレッグが休んでいる時は、ウォッチキャプテンがグレッグの代わりになりクルーを統率しなければなりません。だから、ウォッチキャプテンは、副キャプテン的な役割を担うわけです。
 
 ハウヌイ号は、これまで私が乗っていたハワイのヒキアナリア号やクック諸島のマルマルアトゥアと同じモデルのカヌーですが、初めて乗船するカヌーです。しかもウォッチキャプテン。これまでも、ウォッチキャプテンは何度かやったことがありますが、このような長距離航海では初めてです。少し迷いましたが、他のクルーを見ると、私は確実に経験者です。自分のステップアップにもつながると思い、やることにしました。
 
 そして、アンクルホトゥからもう一つの提案がありました。それは、なんと女子だけのウォッチです。これまで女子だけでウォッチするってことは、聞いたことがありませんでした。基本的にウォッチは、能力や体力、精神面などを考えて均等に配置するはずです。だから、普通女子はバラバラにされます。でもアンクルホトゥは、私たちなら大丈夫だと判断してくれたのです。
 
 期待され、機会を与えてもらえることは、女子にとってはありがたいチャンスです。今回の女子クルーは全部で5人です。そのうちママリズはコック(料理長)なので、ウォッチには入りません。残り4人は私とレイオフとウイ、モアナです。ウォッチの時間帯は、毎日朝6時から10時までと夕方6時から夜10時の計8時間というシフトです。
 
 レイオフとは、アオテアロアからラロトンガ島まで、マルマルアトゥア号での旅で一緒だったので心強い存在です。まだ23歳ですが、何しろ力持ち。ハワイのマカリイ号で子どもの頃からトレーニングを積んでいます。ウイは、レイオフと同じくマカリイ号でトレーニングを積んだ23歳。でも、長距離の外洋航海は初めてです。体格は私に似ていて小柄です。そしてモアナ。彼女は27歳のマオリ人(アオテアロアのポリネシア人はマオリと呼ばれます)です。彼女はほとんど経験がないのですが、様々なことをすぐに覚えてくれる器用な子なので、航海中の成長が期待できそうだと感じました。私はこの3人を引っ張り、彼女たちのコンディションを常に把握しながら、他のウォッチキャプテンやキャプテンとも相談しながら、カヌーを進めていきます。少し不安だったのは、ウイとモアナが長距離航海は初めて、という点でした。ちなみに出航時の私は、25歳でした。

 カヌーでの仕事は、ほとんどが力を使う仕事です。もちろん男子の方が力はありますし、体も大きいので、それこそ体重だけでセールを降ろしたり、ロープを引っ張ったり、重い舵(ステアリングパドル)も体重を使って操作することができたりします。女子はその点が不利というか、より力を使わないですむ要領を覚えなければなりません。限られた人数で作業をしなければならないこともあり、力があるのとないのとでは、どうしても差が出ます。だからこそ、トレーニングによって力を有効に使うことを覚えるのが重要なのです。
 
 ラロトンガ島からの出発予定日の8月10日が来ました。ハウヌイ号が錨泊しているアヴァルアAvarua入江は、普段は静かなところです。ただ、風向きと潮流の強さによっては、出ることが困難になる日があると言います。できる限り予定した日に出発したいという気持ちが、もちろんクルー全員にあります。でも、天がそれを許してくれないとは、このような日のことを言うんだなと、私はその日に起こった事故によって思い知らされました。
 
 朝日が出た直後まで風はほとんどなく、これなら充分に出発できるだろうと思っていましたが、日が昇るにつれて、風が強くなってきました。入江への入り口は、300メートルほど先に見えているのですが、すでに時化ていることが分かります。やはり今日は無理かなぁと思った途端のことです。地元の船が沖合から入江に入って来ました。そしていきなり転覆してしまったのです。あっという間の出来事でした。乗っていた3人が海に投げ出され、流されています。でも、自力でなんとか陸に上がったのは見えました。でも、どうもひとりが重症なのか、救急車を呼んだようです。救急車はすぐに来て、病院に運ばれて行きました。そんな現場を目の当たりにしてしまい、その日に出航することなどできませんでした。少しでも甘く見ると、海は容赦ないのです。当然ですが翌日まで待機です。
 
 そして翌日、朝日が昇る前から全員が起き出し、風や海の具合を感じていました。今日も、風が吹いてきてほしいところからは吹いてくれません。出航はまた延期になりました。なかなか、出させてもらえない、そんな時もあります。アオテアロアのカヌー、テ・マタウ・ア・マウイ号などは風待ちで、出航を決めるのに2週間もかかったほどです。
 
 そして8月12日、ようやく出航できる状況になりました。この2ヶ月間、家族のように接してくれたラロトンガ島のカヌーファミリーが見送りに来てくれました。必ず再訪することを彼らに誓って、いよいよ出航です。彼らには本当にお世話になり、私にはまた家族が増えたことを実感していました。

 出航して数時間、レイオフとウイの調子は良好です。ただモアナの顔色が少しずつ悪くなり始めました。船酔いです。車で酔うことはないと、本人は言っていたのですが、船酔いはどこか別物です。私の場合、車酔いはするのですが、船酔いはそれほど辛くないので、酔っていても普通に生活できます。ひどい人は治るまで本当に寝たきりです。船酔いの辛さはみんなが分かっているので、とりあえず彼女にはウォッチの時間も休ませることにしました。波や風もそれほど強くないので、彼女が休んでいてもあまり負担になるわけじゃなかったからです。私とレイオフとでカヴァーできる程度の海況でした。船酔いは、ほとんどの人が3日もすれば治ります。体がカヌーとそして海と同化するからだと思います。
 
 今回のクルーは全部で13人ですが、本来なら16人が乗船できます。13人だとひとりに何かがあると、他のクルーに負担がきます。クルー全員が万全の体調でいないことには、安全性に相当な影響が出るものです。モアナの体調は、2日目になると船酔いしながらも少しずつ回復していました。舵取りも手伝えるようになり、あと2日も辛抱すれば大丈夫です。
 
 ところが3日目のことでした。全員がカヌーの揺れに慣れ始めた頃、今度はウイに異変が来ました。ウォッチが終わった時、具合が悪いと言うのです。寒気がすると言うので、熱を測ってみると39度。高熱です。ビックリして、すぐにベッドへ連れて行き寝かせました。いきなりの高熱に心配しましたが、キャプテンのグレッグに相談し、ウイの様子も見ながら看病です。ビックリしたとはいえ、こういうことも想定内です。
 
 女子だけのウォッチの班。モアナもまだ本調子じゃなく、さらにウイが熱で倒れるという事態です。夜のウォッチ時間になっても、全く熱が下がりません。薬を飲ませたのですが、なかなか効かないようです。彼女と相談して、別の薬を飲ませて寝かせました。今回の旅にドクターは乗っていません。このまま熱が下がらなかったら?とネガティヴな気持ちがよぎりました。でもネガティヴな気持ちになるのはカヌーの上では禁物です。いつも最悪なケースに備えていても、気持ちでは最善を願うというのがカヌーでの考え方です。最悪な状況を覚悟しつつ、最善の方法を考えるという両面の考え方、それがカヌーの航海から私が少しずつ学んでいることです。
 
 次の朝、幸いなことに、薬が効いたようで37度までに下がっていました。でも油断せず、しっかり万全に治るまで休んでもらいます。私たちウォッチの班ですが、モアナは少しずつ舵取りができるようになってきました。私とレイオフがウイの分をカヴァーします。大きなスコールにも出会わずここまで来られたのは、かなり幸運です。夜には星が見えるので、初心者のモアナでも、向かう先の星を教えてあげれば、まっすぐ舵を取れます。このままこんな天気が続けばいいな、と思っていました。
 
 次の日も、終日ウイには休んでもらいました。この日は風がほとんどなくなりました。この風がない時、もっとも難しいのはカヌーを目的地に向けておくことです。今回の旅では、伝統航海術師がいないためGPSと私たちが持っている知識での航海です。進んでいないと思っていても、向きが変わってしまうことがよくあります。ほとんどないとはいえ、少しの風をどう見つけて、少しでも前に進めるか、なのです。我慢強く、舵の役割をするステアリングパドルを動かし続け、少しずつ進みながらセールを調整しなければなりません。そうこうしていると、いきなり風が戻ってきたりもします。直前までの無風がウソのように感じます。本当に風に生かされていると感じます。
  
 翌朝目が覚めると、トビウオ(飛魚)がデッキのいたるところに落ちていました。夜中にカヌーに飛び込んできたのでしょう。ハワイではトビウオのことをマロロと言います。ハワイの寿司屋さんでも飛子(トビコ)はよく使うのですが、ハワイの人は意外とトビコがマロロの卵だと知りません。日本語だと飛魚、飛子ですぐに分かりますが、英語やハワイ語だとすぐには結びつかないですよね。寿司という日本の海の文化が、世界に拡がっていることが分かります。でも、日本の人たちが海の文化を忘れていることが気になります。そして、すぐにマロロをかき集めて捌き、刺身とフライにしました。普段カヌーの上で釣れるのは、サイズの大きな魚なので小魚は新鮮です。

 その日の午後のウォッチからは、ウイにも舵を握らせました。ぶり返しては困るのでここ何日かは休ませていましたが、彼女はもうずっとウォッチに戻りたくて仕方ありませんでした。でもあまり無理をしないよう、みんなで補助しながらのウォッチです。彼女は、初めての長距離航海。相当に緊張していて、そのストレスのために熱が出たのかもしれません。とはいえ、元気になってホッとしました。4人でのウォッチがようやくできるようになりました。トラブルを乗り越えたので、4人全員が結束したのがよく分かりました。カヌーの上での、物事すべてを支え合うのがウォッチ仲間です。
 
 そして8月19日になりました。その日は、私の誕生日。26歳になりました。私は午前5時過ぎには起きるのですが、起きるとコックのママリズが私のためにケーキを焼いてくれていました。早朝から用意してくれていたのです。ママリズは、みんなのお母さん的な存在だからママリズです。彼女の年齢は60代後半。とてもパワフルな女性です。やりたいことを始めるのに年齢は関係ないんだなと教えてもらいました。
 
 太平洋の真ん中での誕生日。しかもケーキまで焼いてもらい、感謝感激でした。お祝いをしてもらったこともそうですが、クルーたちの心遣いの方が嬉しく、カヌー航海から私が頂くものは、心の奥深いところに響きます。でも、この日はまた風が吹かなくなっていましたが、それも私にとってはプレゼントのようなもので、太平洋のまっただ中で泳ぐことができたのです。海水はものすごく冷たかったのですけど。

 南半球にいるので、南に行くにつれ、どんどん寒くなります。8月は冬です。その夜のウォッチ中には、漁船に出会いました。水平線を見ていたら何か光った気がしてので、みんなでその方角を凝視していると、光の点滅でした。グレッグに伝えると、漁船が流している網か延縄に付いている点滅灯だと教えてくれました。太平洋の真ん中で、他船に出会うこともある意味感激することです。
 
 今回も天気に恵まれている旅です。昨年のヒキアナリア号での航海もそうでした。昨年、トンガからニュージーランドに向かう時は悪天候を覚悟していたのですが、小さなスコールにも出会わず、ニュージーランドに到着できました。今回もまた、そうであれば幸運です。
 
 次の日の朝、前方の空を黒い雲が覆っているのが見えていました。ウォッチの交代時間でしたが、前のウォッチの班も、念のため雲が行き過ぎるまで待機してくれます。黒い雲が近付くと、突然突風が吹き始めます。転舵してカヌーの向きを変え、帆に孕む風を逃します。カヌーの一番前にある帆(ヘッドセール)を取り換え、メインセール(主帆)とミズンセール(後マストのセール)も小さいものに取り換えましたが、私の指示が少しあたふたしたようで、反省しています。やはりまだまだキャプテンの器じゃありません。
 
 スコールが来ると一瞬で風が強くなり、迅速に帆を変えたり、降ろしたりしないとマストが折れることもあります。瞬時の判断のミスが大きな事故につながることもあります。この時は、何事もなく通過することができましたが、もう少し的確で、クルー全員に分かりやすい言葉で伝えるべきだと思っていました。
 
 スコールが過ぎ去り海が落ち着いた頃、レイオフが遠くに何かを発見しました。ランギタフアという島です。この島は、太古のまだカヌーでしか移動する手段がなかった頃、マオリ人がハワイキ(マオリ人がアオテアロアの前にいた場所。今はタヒチの近くにあるライアテアから来たと言われています)から、アオテアロア(ニュージーランド)という新天地に向かう途中で大嵐に会い、この島を見つけて上陸し、壊れたカヌーを修理して、再びアオテアロアへ向かって旅立ったと言われている島です。昨年の航海の途上でもこの島を見つけ、セレモニーをしたことを思い出しました。再びこの島を見ることができたことに感謝していると、近くでクジラが出迎えていました。
 
 ここからは時間が飛ぶように進みました。順調な時は時間も飛ぶようです。アオテアロアに近づいた時、島は大きな灰色の雲に覆われていました。アオテアロアとは、ニュージーランドのマオリ語名ですが、意味は白く長い雲です。マオリ人たちがこの大きな島を発見した時は白く長い雲が島の上にあったのでしょうか。カヌーに乗っていると、遠い昔の人たちがとても近く感じる時があります。彼らは何を思ったのだろう?とよく思うことがあります。島が視界に入った時、島というより大陸のような巨大な島に見えました。まさに陸地を見つけた感じです。島に近付くと、急に冷気が来ます。陸から出て来る冷気なのでしょう、きっと。

 実は今回の旅は、これまでのカヌー航海での最速記録になったと言われました。13日間の航海でしたが、記録にはそれほど関心はありません。私としては、もっと旅がしたいという気持ちの方が強いのです。だから、クック諸島からアオテアロアまであっという間と感じました。クルーたちの平均年齢はかなり若く、私より若いクルーが5人も乗っていたのに最速記録です。しかも、異例の女子ウォッチもやり遂げることができました。もちろん、男子クルーたちが常に見守ってくれていたからですけど。バランスのとれたいいチームだったからこそ、無事に戻れたのでしょう。
 
 1,600マイル(約3,000キロです)のカヌー旅。同じ状況の航海は二度とありません。この旅はさらに自分を大きく成長させてくれたと思っているというか、思いたいです。自分に足りないこと、自分にできること、自分がしたいことなどが、ぼんやりとですがハッキリ見えた気がします。私は、まだまだカヌー航海を続けます。
 
 ということで今回の報告は終わりますが、最後にこの私の拙い文をリシア・ギャロップLysia Gallopさんに捧げたいと思います。今回のキャプテンを務めてくれたグレッグの娘さんですが、私たちの航海が終わった後、亡くなりました。まだ17歳でした。彼女は、私たちカヌークルーにとってWa'a Sister(妹)でした。彼女のご冥福をお祈りします。

(2016.1.26)

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