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内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語 photo by James Hadde

第14回 港とシーカヤック

 カミサンのヤーミーが亡くなってもう10ヶ月が過ぎた。彼女が亡くなる1ヶ月ほど前、私(ワシと読んでくだされ)は60歳の還暦を迎え、ヤーミーや仲間たちがお祝いしてくれたのが遠い過去のように感じるのだけど、まだ11ヶ月しか過ぎていないじゃん。とはいえ、もうすぐ1年になるわけで、年明けには61歳になるな。娘も、今のところ日本にいて今後の動きを模索しているようだ。私が61歳になる時も日本にいてくれるんだろうか。
 
 それで、還暦になってからの、この11ヶ月は本当に激変だったと、前回も書いたけど、まだ書いてない激変もあったので、その話から今回は書こうかのぉ。(突然の山口弁は、昨日山口県から帰ってきたばかりだからです)

 実は、夏になる前の6月初旬、私は横浜港に店を作ってしまったのである。いやいや、店を作って「もらった」のである。埠頭の岸壁沿いにある倉庫を改造して作ったから巨大な店になった。店はアウトドアショップである。日本を代表するアウトドア企業といえばモンベルだけど、そのモンベル直営のアウトドアショップである。「横浜しんやました店」という。新山下埠頭にあるため、そんな名前になった。

 しかし、何で還暦になったのに今更店なんか作ってもらったの?って疑問が湧くだろうけど、いやいや店を作るのが私の目的じゃなかったのである。ただ成り行きでそうなってしまった。本来は、この埠頭にある浮き桟橋を使ってシーカヤックの教育活動(海旅教育)ができるよう、桟橋を持っている横浜港の港湾事業者の代表的な存在の会社と、ずいぶん前から話をしていたのだけど、その会社の社長とモンベルの会長がひょんなことから出会い、横浜港内でシーカヤック事業を始めようと盛り上がり、それで誰がやるの?という話になり、それで私に白羽の矢が思いっきり当たってしまったのだった。しかも、この2人とは相当に長い付き合いなので、私としては断れもせず、まぁ逆に奮起してできることではあるので、引き受けてしまったのである。

 横浜港内、特にインナーハーバーと呼ばれる港の奥には、今やほとんど使われていない海域がある。港の機能が、コンテナ重視になってしまったため、かつての港の機能は必要がなくなり、新たにコンテナ埠頭がどんどん作られてきた。その分、港の奥はガランとした状態になってしまっている。その空いた海域を市民に開放して海洋教育ができるようにと、私は6年ほど前から横浜にある大学(横浜国大、横浜市大、神奈川大学)でシーカヤックの授業をやっている。前にも書いたけど、2008年から始まった東京海洋大学のシーカヤック授業を、横浜港でもできるようにしたわけだ。シーカヤックを使うから海旅教育であり、題目は環境教育としてキチンと単位がもらえるのである。大学の授業を活用して海旅の世界を拡げていこうという考えである。
 
 東京海洋大学と同様に、私は講師という立場で学生たちにシーカヤックの文化的な側面から実際の漕ぎ方やらレスキュー法などを教える。もちろん実習は1人じゃできんので、手伝ってくれるシーカヤックのインストラクターをまずは育ててからという息の長い過程を経てきた上でのことだ。4日間の集中授業だけど、最終日にはみんな半日ツーリングができるようになるから実にやりがいのある授業である。学生たちの表情もたった4日間で変化するから、ホント面白い。
 
 そんな経験から、もっと普通の市民が自由に港内でシーカヤックを漕げるようにできれば、世界的なシーカヤックのメッカであるアメリカのシアトル港やカナダのバンクーバー港のようになり、海という環境を市民が肌で理解できるようになるんじゃないかと思うのである。横浜港はバンクーバー港の姉妹港でもあるし。そんな港になれば、海からの視点を多くの市民が持つようになり、津波を始めとする水害にも対処できる市民も増えるだろう。環境問題を解決できる人材だって育つかもしれんのである。そんな思いで、15年ほど前から横浜港で私はシーカヤックを漕いでいたのである。あの大震災の日も、横浜港を漕いでおり、ギリギリで港内に押し寄せた津波を避けられた。そう、あの2011年3月11日、横浜港にも3メートルほどの津波が来ていたけど、その事実、ほとんど知られていない。

 大学の授業は、横浜港のみなとみらい地区にある帆船の旧日本丸が係留してある日本丸パークで行なっている。ここは、かつてのドックを改造して公園にしたところで、ドック内の水域をシーカヤックパークとしても使用している。管理しているのは半官半民の組織。普段はNPOである横浜シーフレンズが、市民向けにシーカヤック教室をやっていて、カヤック艇庫も常設してある。横浜シーフレンズは、日本カヌー連盟の傘下にある日本レクリエーショナルカヌー協会(JRCA)が公認しているカヌースクール。メンバーには、シーカヤック指導員が多くいるので、彼らに協力してもらって大学の授業もやっている。私はJRCAの理事でもあるのだけど、シーカヤックの指導員を検定するイグザミナー(検定員)でもある。
 
 この日本丸パークを運営するのは半官半民の組織だからして、普通の民間のようなスピーディな対応ができない。民間の組織であれば、かなり自由に対応が可能になるし、そういった意味でモンベルの店が果たす役割は大きいと思って私は結構店に常駐してシーカヤックに関するアドバイスをしている(月の半分から3分の2ぐらいだけど)。何だか還暦過ぎてから初めて就職したようなもんである。普通と逆だな。

 モンベルの店がある埠頭の浮き桟橋は、これがまた日本で唯一の港の中にある民間桟橋であり、しかも海上保安庁のお墨付きのような「海の駅」にも指定されている。ここからシーカヤックを漕ぎ出せるところに面白味がある。港内でシーカヤックを上げ下ろしするには、岸壁の使用許可が普通は必要だけど許可されることは、まずない。で、その許可がいらないということが重要なのだ。日本丸パークにしても同じようなものだが、民間桟橋であればより自由度は高い。私らシーカヤッカーというのは、自由をもっとも大切な価値観にしているようなものだから、港の中とはいえ、自由感がなければ魅力としては半減するのである。
 
 とはいっても、店ができたからといってすぐに誰でも自由に桟橋からシーカヤックを漕ぎ出せるというわけでもない。桟橋管理の責任があるからだ。ある程度は信頼できるような漕ぐ技術がなければ、この桟橋を使用させた側にも社会的な責任が生まれるはずだからである。なので、使用する人を見極めたり、ある程度はチェックしたりしなければならないのは仕方のないことだ。
 
 そこで、モンベルなのである。モンベルにはモンベルクラブというアウトドアクラブがある。そのメンバーになるには、個人登録をしなければならないし、当然ながらクラブ会費も払うことになる。それでもメリットがあるからクラブメンバーになるわけだが、要は身元がハッキリしている。しかも、今やそのクラブメンバー数が全国で70万人以上という規模になっている。70万人ですぞ!数年前の自民党員と同じぐらいの規模なのである。しかも、メンバーが毎日増えて続けているってのは、店にいるからよく分かる。
 
 つまり、モンベルクラブメンバーであれば、桟橋から漕ぎ出すことが割と簡単に可能になるはずである。まったくの初心者じゃ無理だろうけど、普通に漕げる人であれば問題ない。でも、それをまたどう見極めるかも重要になってくる。今のところ、まだ店がオープンして半年しか経っていないので、そこまでのシステムはないけど、初心者でも漕げるようになるための、最初の一歩であるカヤック体験会だけは、毎月やるようにしている。この体験会、基本的にメンバーじゃなくても参加できるが、メンバーであれば参加費が割引かれるから、実質的にはメンバーオンリーの体験会になる。そしてその体験をした上で、次の段階である講習会を受けられるようにしていく。そうなれば、その次の段階では港内ツアーになり、さらには自由に漕ぎ出すことも可能になろう、と私は考えている。システムを作るのは、現場にいる私になるんだろうけど。

 港の中でのシーカヤック教育は、海旅教育の第一歩だ。海旅教育というのは、アウトドア教育だからして環境教育なのである。大学の授業もちゃんと学問としての環境学である。「水圏環境リテラシー学」というのだ。水圏のほとんどは海だからして、海洋環境でもいいのだが、もう少し広い概念。リテラシーは、文科省が好きな言葉らしく、意味はといえば読み書き能力のことで、海を読んだり、海を書いたりする能力というか、海という環境を人に伝えるための能力を育むということ。シーカヤックを使うのは、その学問の実習だからである。英語だと、そのままOCEAN LITERACYとなる。日本語は仰々しいのだ。日本では、9年前に始めた東京海洋大学のシーカヤック授業から始まった学問なのである。
 
 この夏(8月、9月)も、東京海洋大学から始まり、横浜港では横浜国大(大学院)と神奈川大学の合同授業、そして横浜市大の授業をやっていた。海洋大の方は、千葉の館山湾沿いに実習場(ステーションと呼んでいる)があり、そちらをベースにやっている。さすがに9年目ということで、少し進化させて授業を行なったのだけど、授業には娘にも来てもらって講義をやってもらった。何しろ海洋大である。リアルに外洋の海旅をしている娘のような日本人はまずいないので、学生にとっても彼女の話はためになるだろうと、大学から請われての講義となった。
 
 それで海洋大の授業の、何が進化したかっていうと、何と授業の仕上げとなるツーリングをした後は、テント泊というパターンにしたのである。大学側に1人用テントを人数分用意してもらい、学生たちがツーリングに出かける際にはテントやマット、着替えなどをシーカヤックに積み込み、上陸したらテント泊である。夕食も外で自炊というかバーベキューである。食材だけは、配給したけど。
 
 何しろ、海洋大には館山湾沿いの海際に実習場があり、敷地内にはリッパな芝生の広場まである。その広場がキャンプ場になるのだ。そこをキャンプ場に見立てられる視点が、シーカヤックからの視点である。今までそんな発想はまったくなかったらしい。さらに別の実習場までが館山湾の北側の富浦湾にもあり、やはりリッパな芝生広場がある。将来的にはそちらも使用していくのである。と、私のことだから、どんどんエスカレートするのは間違いあるまい。

 こういった活用こそが海旅教育になり、第2段階の第一歩を今年から踏み出したということだ。海洋大は昔の東京水産大学と東京商船大学が合併した大学だから、両校の資源として実習場がまだ残っているけど、なかなか活用できないでいた。その資源活用としての海旅教育ならば、ハマるわけだな。
 
 ということで、そろそろ今回は終わりにしよう。激変の今年は、つい先日にもやはり激変があったから、まだまだ続くのかもしれん。それが悪い変化じゃないことだけを祈るのみである。先日の激変は、次回の話に取っておこうかのぉ。まぁ、良い方への変化だった。

(2016.12.3)

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