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内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語 photo by James Hadde

第13回 日本が始まる島

 父が前回の記事で触れていた「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」について今回は少しだけ書かせていただきたいと思います。
 
 ことの始まりは海部陽介博士(国立科学博物館・人類進化学者)が私の家を訪ねてきてくれたことからです。そこでこのプロジェクトについて知ることになりました。海部さんがいうには「私たちの祖先がもしかしたら、世界で最初の航海者だったかもしれない」と。私にとっては、これが事実ならば海に関わり、航海する者として、今まで自分の中に持っていた謎がとけるきっかけになるかも知れないと思って参加することにしました。

 6月下旬から日本最西端の島、与那国島に入りました。初めての島ですが、懐かしい気もしました。草舟航海士の石川仁さんの教えのもと、早速草舟作りに参加です。今回の舟の材料、“ヒメガマ"と“トウツルモドキ"は地元のメンバーが暑い中、アブに刺されながらとってくれて、私たちが着いた時には乾いて、材料としての準備ができていました。これを並べて、ツルで縛っていくという作業を繰り返します。言葉で言うと、単純作業のように聞こえますが、太さや長さを均等にしたり、縛る強さを調節したり、とても繊細な作業でした。そして、この時期は梅雨も明けていたので、与那国はとても暑かった。日中の作業はサウナの中にいるような感じでした。海の水も暖かかったので、海に入っても体が冷えずに、この暑さに慣れるのに数日かかりました。そんな中、初めの舟は5日くらいかけて作り上げることができました。

 今回の草舟で航海する経験は、私がカヌーで航海する経験とは似ているようで、でも実際は全く新しい経験になりました。まず、舟を全く一から作ること。その島にある、草で作ること。たぶん、草で作った舟に乗ったことがある人はそうそういないのではないかと思います。もちろん私も初めてのことでした。初めて舟に乗ったとき、ものすごい安定感にびっくりしました。草の舟だから柔らかくて、ふにゃふにゃしているのではないかな?と思っていたのですが、全くその反対。作るときから、草を石で叩きながら、締めていったので、ものすごく硬い。そして、草も何百本もまとまれば、重さもあり、水に入れば、ひっくり返るなんてことはないそうです。そして、海に浮かばせてからは、日に日に、安定感は増して、これは絶対ひっくりかえらないなぁと理解できました。

 自分たちの手で舟を作ると、舟のことがとてもわかります。私は一からすべてカヌーをつくったわけではありませんが、ホクレア号が生まれて初めて最大規模のドライドック(修繕作業)に入るときに、私も参加しました。そのときクルーとして、そこに関わるのがどれだけ重要なことかわかりました。乗っているだけではカヌーを知っているとは言えないでしょう。カヌーや舟は、海の上にいる私たちにとって、一番大切なものです。ハワイのクルーは、カヌーをホーム、そしてマザーと呼んでいます。私たちがカヌーをtake careすれば、必ず、カヌーも私たちをtake careしてくれると言われています。舟を作ることで、その舟を一から知ることができるし、その舟を生み出す者のひとりとして、舟との距離がとても近くなります。そして、一緒に生み出した人たちは仲間になります。

 今回の航海の結果だけを見ると、私たちは“たどりつけなかったのだ”と簡単に思われてしまうでしょう。でも、与那国島から西表島への航海の目的は逆にただ、たどり着ければいいというわけではありませんでした。台湾から与那国島への航海を成功させる、そのための航海でした。3万年前の、私たちの祖先が挑んだ大冒険がどのように行なわれたのか、たくさんの可能性を探ってみる、実際にやってみたことで、今回本当にたくさんのことがわかりました。頭の中や、記録、データ、文面だけではわからなかったこと、今回の実験航海でわかったことは膨大だと私は思います。この実験航海で、やっとこのプロジェクトが始まった、という感じがしました。
 
 今回たどり着けなかった大きな理由は、“時間”と“流れ”だと私は思っています。
 “時間”は、舟をいつ出すかという、そのタイミングの時間です。現代社会の、人間の時間と自然の時間は全く違います。よく、カヌーが遅れて到着、というのが陸にいる人たちにとってはとても大きな問題になります。いろいろな儀式、セレモニー、パーティーなど、現代人は時間で動いているからです。でも、カヌーは遅れているわけではないのです。自然の時間に従っているから、着いた時が、ちょうどいい時間なのです。でも、陸にしかいないと、なかなかそれが理解できません。
 カヌーが陸の時間に流されると、実はとても危なくなります。ホクレア号の最初で最後であってほしい、事故がまさしくこの“時間”でした。陸の時間に従って海に出てしまったのです。今回は島で生きる、海で生きる人たちがたくさんいたので、この“時間”に対しての理解がとても早かったです。ただ、それでも陸に住んで、陸で生きる人たちと生活をしているので、陸時間と海時間をうまく共有しないといけません。今回も、リミットまでの中で一番コンディションの良い日を選び出発しました。でも、祖先たちは、時間という考え方が現代を生きる私たちとは全く違っていたでしょう。きっと、ベストな日まで待つことができたと思います。

 そして“流れ”。流れは海と潮の流れです(海流と潮流)。もちろん、データはありますが、実際は海に出てみないとわからない。毎日、同じ場所でも時間や地球の動きで変わってくる。こんなに進んだ社会でも、まだ実際に海に出てみないとわからないことのひとつだと思います。
 私たちが漕ぎ出した海は早い流れがありました。クルーのほとんどの人がそれに気づいていて、舵取りの人も、すぐに予定の方向よりも南に進路を向けました。でもいくら進路を変えても、舟のスピードよりも流れの方が早かったので、流されました。
 祖先たちは、流れを知る術はなかっただろう。現代でも難しいのだから。というのが私たちの考えでしたが、航海が終わってから、この考えこそが間違っていたのかもしれないと思いました。この航海を達成するには流れも考慮しないと困難だと思います。そう思うと、祖先たちは何らかの方法でそれを知っていたのではないかと思いました。今から3万年も前。ホクレア号の物語のずーっと前。その頃の彼らが何を知り、何ができたかなんて、もしかしたら私たちの想像をはるかに超えているかもしれないなと思いました。

 このプロジェクトは参加メンバーの方たちが思っているよりも、とってもとっても大きなことになるかもしれないと感じています。3万年前の人々。私たちの祖先。彼らがいて、今の私たちがいる。自分のルーツ、アイデンティティを知ることで、人はとてつもない力を発揮できると私は思います。だから彼らが何者だったのかということを少しでも知ろうとすることは、ものすごく大切なことだと思うのです。これは私たち自身のためではなく、まだ生まれてきていない、未来の子供たちのためになることだと思っています。これからこのプロジェクトがどうなっていくのか、とても楽しみです。
 また、資金集めから始まる、台湾・与那国島の航海。ぜひ今後ともたくさんの人がこのプロジェクトの価値に気づいて、関わってくれることを願います。

(2016.10.10)

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