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内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語 photo by James Hadde

第25回 原始航海のタイミングが近づいたぞ

 いよいよ、3万年前の原始航海を再現してみようとする国立科学博物館の実験プロジェクトが、最終段階に入ってきた。平成から令和になったその月の下旬、つまり令和元年5月下旬、私(ワシと読んでね)は再び台湾の東海岸、台東県長濱郷にある烏石鼻の浜辺にいた。
 昨年来、杉の巨木から刳り出した丸木カヌー「スギメ」は、すでにその浜辺まで運搬されていた。千葉県館山市にある東京海洋大学の館山ステーションで調整を繰り返してはいたが、最終的な完成にはまだなっておらず、石斧大工の雨宮くん(雨ちゃん)もやって来て、最終仕上げを行なうことになっていた。
 この烏石鼻の浜から、遥かなる八重山列島の与那国島まで、黒潮本流を漕ぎ超えて向かうのは、梅雨が明けてすぐと考えており、その事前合宿としてスギメの調整と漕手たちが慣れるための時間を作り、さらには研究者たちが乗る伴走船との連携の訓練も行なうことにしていた。

 このプロジェクトメンバーのほとんどは、学者さんである。そこに航海の専門家は私以外にはいない。なので、航海に関しては、ほとんど私がアイデアを出し、ロジスティックスを組み立てていくしかないのが現実である。漕手のメンバーも最終的にはほとんど私が決めてきたし、当然ながら手漕ぎの旅のベテランが中心である。もちろん、手漕ぎで海旅をするといえばシーカヤック旅しかないので、最終的に決まった7人のうち5人はシーカヤッカーである。あとの2人は、古代航海術によって航海カヌーで太平洋を旅してきたマオリの青年(沙希のパートナーだな)とハーリー競漕のベテランである。
 
 とはいえシーカヤッカーというのは、いわゆる船乗りではないので、伴走船のことについては専門外になる。私は大学時代に遠洋マグロ延縄漁船の航海士になるための勉強をしていたので、一応は船乗りの勉強や長い航海の経験もしている。今のような航海計器に電子機器が使われていない時代の船乗りの勉強だったけど、それはそれで今も船乗りの基礎ではある。ナビゲーションも、地文航法や天文航法が中心といった世界だった。つまり、今の船舶に装備されているような高性能な電子機器を積んでいない伴走船であっても、まぁ対応できるということなんだな。
 
 実は、伴走船を考えた時、私は教育系の実習船を考えていた。何しろ日本中の海洋関係の大学や高校には数えきれないほどの実習船が存在しているからだ。そのうちの1隻でも活用できないか、そう考えていた。そしてそれに見合う、ほぼパーフェクトな実習船を持っている国立大学があったのである。しかもその大学で、私はシーカヤックの授業もやっているという関係まであった。
 そこで1年ほど前から、その実習船が使えないかという相談をし始めていたのだが、紆余曲折があり、最終的に日程が合わないという状況になったのだった。当初からその可能性も含めて考えていたので、結局は台湾側の伴走船を頼むことになってしまった。これまでの台湾での実験でお願いしていた沿岸用の小型船舶だが、まぁ船長とはある程度気心の知れた仲でもあるから、準備を万全にすれば何とかなるレベルにはなろう。とはいえ、小型船舶であるから不安は取り除けないので、事前の合宿で充分に訓練することにしたのだった。

 この実験プロジェクトの航海は、航海実験なのか実験航海なのか、という定義上の問題がある。航海実験というと、実験に使う舟が航海できるレベルにあるかどうかの実験となろう。逆に実験航海になると、航海ができるという前提の舟での実験となる。
 これまでの草束舟や竹筏舟の場合は、航海実験のレベルだった。果たしてこの舟で航海ができるんかいな?である。しかし、丸木カヌーが旧石器のレプリカ石斧で作れた今回は、実験航海になるのだ。何せカヌーであるから航海ができないわけがない。
 カヌーというのは元々が丸木を刳り貫いたものだ。それをカヌーと呼び、つまりはカヌーだから航海ができて当たり前ということになる。手漕ぎの丸木カヌーによる実験となった今回は、航海ができる前提の実験となったわけだ。そこで、もっとも重要な要素が、事故を起こさないということになるのである。それに必要なのが、リスクマネージメントだな。リスクマネージメントは、安全管理と私は訳している。それについても説明しておくか。
 
 大体リスクとは何か?であるな。リスクは危険や危険性といった意味だと辞書には書いてあるが、果たして単純にそうだろか? 私が訳すようにリスクマネージメントが安全管理なら、リスクは安全でもあるということにもなろう。安全は、危険がなく安心なさま、という意味であるからして、危険がなく安心であるレベルの限界点の手前にリスクがある、と思われる。その限界点の向こうにはリスクを超えた世界があることになる。つまり、リスクは安全の範疇にあるということだ、と思う。
 リスクってのは、元々はギリシャ語のrhizaという語で、岩壁に沿って航海するという意味である。ラテン語が語源という説もありそちらはvulgarで、危険、岩、海でのリスクという意味らしい。いずれも航海に関する用語である。まさに、今回の実験航海ではこのリスクこそがテーマとなるのである。
 
 では、リスクを超えた場合はどうなるか、である。それは危機に陥ることであり、そうなると危機管理が必要になる。危機管理はクライシスマネージメント。すでに危機の中にいるから危機からの脱出が必要になり、それを管理しなければならない。まぁ、リスクマネージメントという大きな枠の中に、クライシスマネージメントが含まれると考えてもいいだろうな。
 スギメの実験航海には、その危機管理まで含めての準備が必要であることは明白である。ということで、事前の合宿では、安全管理から危機管理まで、考えられるすべてのことを、充分とは言えないまでも、かなり訓練することにしたのだった。
 
 さて、リスクマネージメントを具体的に羅列してみようか。まずは丸木カヌー、スギメの調整。うねりの中を漕ぐことになるから浸水に対応できるようにしなければならない。かなりの工夫をしたけど、あくまでも旧石器時代という前提は崩せない。
 漕手が漕航中に具合が悪くなることも想定しなければならないので、伴走船には救急救命士や医者も必要になる。具合が悪くなった漕手が自力で伴走船に上がれないことも考えられ、そのための揚収システムも考えねばならない。
 漕手が落水してもスギメから離れないことも重要な要素だ。そのために特別なハーネス(リーシュとも)も製作した。まぁこれは旧石器から離れるが、安全管理上必要なものだ。
 基本的に漕手の交代はしないことにしてはいるが、現実としては交代もあり得ることで、2名の交代要員はいるが、それ以上になると航海の中止になることも考えられ、するとスギメを伴走船で曳航することにもなる。その曳航訓練も事前に充分やるべきことだ。
 
 さらに、漕航中に天候の変化によってスギメどころか伴走船が危なくなる可能性もあり、そうなると荒れた海域からの脱出を考えねばならず、曳航速度では間に合わないことも考えられ、スギメを伴走船に揚収できるシステムも考え、実際に揚収の訓練もしなければならない。
 当然ながら、伴走船の遭難は想定しなければならず、台湾の海岸巡防署、日本の海上保安庁とのそれぞれの連携も取る必要がある。こちらの位置をリアルタイムで把握してもらうための装備があれば、それにこしたことはない。当然、衛星を使ったシステムを使うことになる。
 スギメが単独になることも想定されるため、スギメと漕手それぞれ全員からの位置情報を送信するシステムも用意した。以前も報告したが、ガーミン社のinReachという機材で、SOSも送信できる。GPS衛星で位置を特定し、それをイリジウム衛星に送ってトラッキングできるようになっている。
 SOSの受信は、民間の国際的な救助組織GEOSの国際緊急救助調整センターであるIERCCが受信後すぐに海上保安庁へ位置情報を通報するシステムができている。
 スギメと伴走船とはデジタル簡易無線で行なうが、バッテリーがもたないので、交換できるように予備も用意することになった。他にも様々と細かいことが山積みだった。

 ということで、5月の下旬から6月上旬にかけ、2週間ほど台湾に滞在して、様々に訓練を行なった。その後一時帰国して、臨戦態勢をキープしながらこれを書いている。日本に戻ると、どうしても日常に戻ってしまうので、いかにモチベーションを下げないかが重要になり、漕手たちとは日々連絡しあって、モチベーションを下げないように情報交換をしている。
 我々現代人が、旧石器人という途方もない過去の祖先たちの気持ちになるには、相当な努力が必要だ(努力じゃ無理かもしれんが)。3万年前という時代が、どれほどの過去なのかを理解できる現代人は、ほとんどいないといっていいだろな。今の常識どころか、縄文時代の常識だと思われていることだって新しいことになる。縄文の始まりが1万5,000年前といわれるわけで、それよりさらに1万5,000年前が3万年前であるから、これほど途方もないことはない、とさえ思える。それを漕手たちは、自身に課して実験に臨まなければならない。私は彼らをその時代へと導くための役目(監督といわれている)を課せられているから、気が抜けない。といっても、そんな時代へ導けるはずもないのだが、まぁ努力をするということだな。
 
 丸木カヌーであるスギメに乗り込めば、確かに漕手たちは、旧石器人に近づける。しかし、一旦陸に上がったら、突然の現代文明に晒される。このギャップをどう埋めるか、それもこの実験の重要な要素だ。
 前回書いたエコフィロソフィは、そこを埋める手段として活用できると思っている。特に重要なのが「人間原理」だろうな。この宇宙には人間を生み出す原理があるという物理学の理論である。その根源部分に、旧石器人の航海というものがあったとさえ思えてくる。
 最近、人間もまた渡り鳥のように地磁気を感じる能力があったかもしれないという新説が出てきた。旧石器人には、我々が想像できないナビゲーション能力があったのかもしれない。
 すべての準備ができたとしても、漕手たちに求められるのは、原始のナビゲーション。現在の与那国島は、最高峰の宇良部岳がわずか231mしかない。3万年前は今より80mは高かったから(海面が80m低いから)、より遠くから視認できたはずだ。231mというと、スギメの視点からだと、60キロほど手前から見える計算にはなる。今は宇良部岳の山頂に鉄塔が立っているので、鉄塔の先端が見え始めるのはもっと遠くからという計算になる。とはいえ、現代人の視力で、しかもクリアーな視界が望めないことを想定すると、もっと近づかないと島は見つからない。
 
 マオリの青年であるトイオラは、10代の頃から実際に航海カヌーに乗り、古代の航海術の訓練をしてきた。だからかなりの確率で島を見つけるかもしれない。とはいえ、古代というのは原始時代より新しい時代である。この実験がやろうとしているのは原始というか原初の航海である。その時代は、ある意味で水平線の向こう、水平線の下の深くに隠れている、と考えることもできる。古代航海術のさらに昔の原始航海術とは、いったいどんな世界だったのだろうか。

 原初の航海を再現しようという、かなり無茶なこの実験ではあるが、そこから何らかのヒントが得られることは期待できる。もちろん現代の科学じゃ証明できないことが多いだろうが、未来は分からない。そして新たな哲学が生まれ、倫理へと昇華していけば、この実験の意義は充分に満たされていくという気がしている。
 さてさて、来週には再び台湾に戻り、与那国島を目指すタイミングを見計らいながらの浜生活が始まる。これは実験であるからして、決して冒険はしない。与那国島に到達できようができまいが、実験に成果があるのは間違いない。報道などでは、到達できれば成功で、できなければ失敗といった捉え方をするんだろうけど、この実験には成功も失敗もない。成果を出すための活動なのである、ということが意外に理解されていない。すでに相当な成果が上がっているわけだし、新たな人類学の仮説が生まれ出ようとしているんだけどな。まぁ、7月の半ばには、その時点での最終的な成果が見えているはずだ。
 
 
*「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」のオフィシャルサイト
https://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/

(2019.06.19)

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