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シェルパ斉藤の"ニッポンの良心"

その五 「北海道ホタテ王国、シュールな世界でも絵になる男子!?」

 最北端の宗谷岬からオホーツク海へ。
 良心くんを荷台に載せた愛車CT110は快調に走り続けている。軽快なエンジン音を響かせて、信号がない直線道路を心地よく駆けていく。
 オホーツク海の風景はどことなく寒々しい。集落もなく、砂浜と広い海原が延々と続く。この道を歩いたらいやになるだろうな……。荷物を背負って歩く旅人=バックパッカーの僕はそう思い、オートバイで旅する喜びを実感しながらCT110のハンドルを握り続けた。
 そして約1時間走って、猿払村(さるふつむら)に到着。
 猿払村はホタテの漁獲量日本一を誇る。横浜の崎陽軒のシウマイにも使われているし、宇宙飛行士の山崎直子さんもディスカバリー号で猿払村のホタテを宇宙食にした。
 日本代表にとどまらず、地球を代表するほど名が知れたホタテなのであるが、猿払村は順風満帆の道を歩んできたわけではない。半世紀前は乱獲によって漁獲量が激減。酪農も林業も衰退して、村民は極貧の生活を強いられていた。当時は『貧乏を見たけりゃ猿払村へ行け』などと道内では囁かれていたそうだ。
 しかしホタテの稚貝を養殖する栽培事業に日本で初めて成功。猿払村は日本一貧乏な村から日本一裕福な村へとV字回復を遂げる。日本最北に位置する村にもかかわらず、村民が支払う住民税は世田谷区と港区に次いで全国第3位の高額を誇っていた時期もあるという。
 そんなホタテ王国にふさわしい光景が海辺にあった。
 最初に遠くからそれを見たときは、雪が降り積もった白い砂丘を連想した。そして近づくにつれて、半端でない量に圧倒された。
 ホタテの貝殻の残骸である。純白ではなく、薄汚れた貝殻が積まれた白い丘は雪解けの春山を想わせる。太陽が射し込むとサングラスなしではつらいほど眩しい。
 僕は良心くんを荷台のバックパックから出し、貝殻の丘の上に置いた。
 生物の気配が感じられないシュールな世界。異次元の空間のようなイメージなのに、それでも絵になる良心くんがすばらしい。
 良心くんを撮影したあとは、自分の姿もセルフタイマーで撮った。貝殻を使って武田久美子風(わかる人にはわかるでしょう)に写したい衝動に駆られたが、真夏とはいえ最北の風は涼しい。裸になる勇気と度胸はなかった。

 猿払村を通過してからは西へ進路を変えて、内陸部の音威子府村(おといねっぷむら)に入った。
 音威子府村の筬島(おさしま)という地区でライダーたちのイベント、その名も『ライダーまつり』が開かれると聞いている。
 主催者は北海道を愛するライダー『ホッカイダー』を自称する小原信好さん。旅の情報が掲載された道路地図、ツーリングマップルの北海道編を担当するフリーのカメラマンで、取材を兼ねて北海道を毎年オートバイで旅している。数年前に音威子府村で地元の人間と親しくなり、音威子府村で創作活動を続けていた稀代の彫刻家、砂澤ビッキ(*)の美術館を兼ねた筬島のエコミュージアムで作品展を開催することになった。そしてどうせならと、北海道を旅するライダーたちを盛り上げるイベント開催に発展したという。
 初めての開催だったため、参加者は30人足らず。既婚女性が2名で、あとは年をくったムサい男ばかりという、ライダーの世相を反映したミーティングになった。

 ライダーまつりの参加費は500円。夕食はおかわり自由の筬島夏野菜ふんだんカレーと、なんでも炭焼きコーナー。『催し』として、ツーリングマップルやステッカーなどがゲットできるジャンケン大会、露天風呂無料入り放題、星空観測会、安い(?)花火大会というプログラムが組まれている。
 アルコールが回ったところで、片岡義男の小説を映画化した『彼のオートバイ、彼女の島』が倉庫で上映された。
 場内からため息が漏れる。いい映画だからではない。映画が描く80年代の世界に自分たちを投影するからため息が漏れるのだ。
 片岡義男は80年代のオートバイブームを牽引していた。赤い背表紙の文庫本に描かれたオートバイの世界に男性ライダーたちは憧れた。小説に出てくるエピソード、エンジンのフィンにレトルトカレーをくっつけて温めるスタイルを真似たライダーが少なからずいた。
 しかしそれらは昔の話だ。あの頃はよかったと、昔を懐かしむだけの旅人であってはならない。その思いがあるから、ここに集うライダーたちは現役であり続けるのだろう。
 酒宴は夜遅くまで続いた。そして翌日、砂澤ビッキの美術館の前で記念撮影してから、それぞれがそれぞれの地へ旅立っていった。
 僕は良心くんを彼らに披露することができなかった。その理由はなんなのか、自分でも説明がつかない。披露するタイミングを逸したまま、旅立ってしまった。
 彼らの良心を注いでもらうべきだったと、今となっては思うけど……。

photos by sherpa saito

*編集部註:北海道旭川市出身、木彫を専門とする彫刻家。
      大胆かつ繊細な作風で注目され、国際的にも高く評価された。
      1989年没。

エコミュージアムおさしまセンター BIKKYアトリエ3モア
http://www.vill.otoineppu.hokkaido.jp/shisetsu/eco_museum_osashima/index.html

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