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第13回 魔法の歌声 <前編:映画『ジャージー・ボーイズ』所感>

(C) 2014 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC ENTERTAINMENT
映画「ジャージー・ボーイズ」http://www.warnerbros.co.jp/jerseyboys/

9月27日(土)公開 丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー
他 全国ロードショー
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 旧知の業界人Ⅰ氏から、そのミュージカルについて耳にしたのは2011年1月12日の夜だった。恩人Kさんを偲ぶ会での久しぶりの再会だったので覚えている。彼がニューヨーク・ブロードウェイで観た評判の舞台がフォー・シーズンズ(*1)のヒストリーを題材にしていて、とにかく滅茶苦茶おもしろいと話してくれた。それ以前にも話題としては知っていたが、意味ある情報として認識したのはそのときが最初だと思う。それが『ジャージー・ボーイズ』だった。以降もトニー賞4冠獲得やロングラン上演続行中など賑々しく伝えられた『ジャージー・ボーイズ』が、にわかにより身近に感じられたのが、フランキー・ヴァリ &ザ・フォー・シーズンズの初(!)の来日公演が13年9月に決定と報じられた辺りから。このチャンスを逃す手はないと気分も大いに上がって、公演のタイミングで担当番組でのフォー・シーズンズ特集も企画した(13年9月5日放送NHK-FM『ミュージック・プラザ』)。ところが、いきなり来日が14年1月に延期となってしまった。理由が、舞台『ジャージー・ボーイズ』がクリント・イーストウッド監督で映画化されることになり、その関連日程と重なったというもの。”こりゃ、延期から中止パターンかなあ”といぶかったものの、一方で映画化の話にこれまた興奮した。なんといってもクリント・イーストウッドだ。

 中途半端な映画好きの私にとってイーストウッドはまず”ダーティハリー”の人で次に西部劇、くらいのずさんきわまりない認識だったのが、書評が気になって何気なく読んだ『クリント・イーストウッド アメリカ映画史を再生する男』(中条省平 著 ちくま文庫)で一変した。ハリウッド黄金期の財産を受け継ぎ、いずれ振り返られることになる現在の映画界においてそれを担い続けてるイーストウッドという男の存在意義のすごさを曲がりなりにも理解してからは、機会ある度に彼の関わった作品を観るよう努めた。娯楽であり表現芸術である映画作りの傑出した才覚(面白さだけでは忘れ去られるものに意義を植え付け、メッセージのみでは煙たがられるものに感動や愉悦の記憶を刻む)に幾度も突き動かされては、イーストウッドが新作を世に出している時代にまにあった幸運に感謝している次第だ。『ミスティック・リバー』や『ミリオンダラー・ベイビー』『グラン・トリノ』といった苦い味わいが格別な余韻を残しながら消え去らない秀作と共に、『スペース カウボーイ』『インビクタス/負けざる者たち』や『ヒア アフター』での胸の奥に炎が灯り続ける手腕にも猛烈に惹かれるーーー私は、そんなあまっちゃくれた(*2)イーストウッド映画ファンだ。フォー・シーズンズを題材に彼はどんな作品を撮ってくれるのだろうかと期待を膨らませた。そして、その作品を14年9月6日に試写会で観ることができた。

 舞台『ジャージー・ボーイズ』は05年11月にニューヨーク・ブロードウェイで初演を迎えた。それを観たプロデューサーのグレアム・キングが映画化にあたってイーストウッドに監督を依頼したのは、彼が無類のジャズ愛好家で音楽にとりわけこだわりを持つ映画作家だという側面が大きかった。舞台版の良さを損なわぬために脚本家と中心的配役をそのまま起用した。ブロードウェイ版は未見のため比較はできないが、映画『ジャージー・ボーイズ』はフランキー・ヴァリたちメンバーの生い立ちと成功までの苦闘、そして挫折を柱として人間関係の機微を描き抜いた、実に魅力的な作品になっている。”音楽をふんだんに用いているという意味でミュージカル的ではある”とイーストウッド自身が述べたようだが、セリフ回しを楽曲で展開するほどのミュージカル映画ではない。その点がそうしたスタイルを敬遠しがちな層も取り込んだのかもしれない。全米では14年6月に公開され、週間興行収益のトップ10に入る成績をあげている。

 さらに舞台版を踏襲したのが、俳優が作中で観客に向けて語りかける演出だそうだ。ウディ・アレン作品でも採られるこのやり方は状況説明を簡略化する点で、そしてスクリーンの内と外の距離をぐっと縮める、すなわち演劇的な一体感を生み出す点で映画『ジャージー・ボーイズ』でも効果的だった。演劇作品としてのアピール・ポイントを熟知した上で、ストリートやレコーディング・スタジオ、パーティやコンサート会場といった舞台では制約のある設定を存分に織り込み、人物配置のカメラワークや時制のダイナミックな転換などが、『ジャージー・ボーイズ』を映画で再現する意味合いの大きさを明確に感じさせる。

 実のところグループのヒット曲とそれが受け入れられた当時のポップ・シーンやラジオ/TV業界についてなどは必要不可欠な範囲で適度に抑えられていて、より深く細かい描写を望む向き(私?)には物足りなく感じられるかもしれない。もちろんフォー・シーズンズの軌跡を描けば彼らの音楽の魅力が自ずと表現されてしまう。そして本作の主眼はそれを伝えることではない。冒頭部でキーワードのように使われる”シナトラ”が示す、ニュージャージー人の気質が織りなすイタリア系米国人の絆こそが主題であろう。成功までを描いた前半と適確に対比して、ジョン・ロイド・ヤング演じるフランキー・ヴァリが家族の崩壊と並んで、ヴィンセント・ピアッツァが好演するメンバーのトミー・デヴィートとの愛憎関係に伴う葛藤と断腸の別離が、物語後半の骨格となる。絆とはつながりであるのと同時に互いを縛り付けているものだ。そうした心象を際立たせる上で、「君の瞳に恋してる」や「瞳の面影」「天使の面影」といった佳曲が最高の彩りを与えていく。イーストウッド、すっげえ!と唸らされる。

 さらに触れておきたいのがクリストファー・ウォーケン。名作『ディア・ハンター』でのニック役の狂気の怪演/快演が忘れられない、今回唯一のハリウッド・スター・キャストは、ヴァリの後見人となるマフィアの実力者ジップ・カルロを演じ、重厚だったり味わい深かったりするのとはちょっと異なる次元の、独創的な存在感でたっぷり魅せてくれる。ウォーケンもステップを踏む、エンディングの群舞シーンは、もちろん舞台版を踏まえた洒落た上に大胆な演出であり、上出来のミュージカル舞台のクロージングで湧き起こる高揚感が胸いっぱいに広がって、心の中で喝采を叫ばずにはいられなかった。

 なお、サウンドトラックとはやや異なる位置づけで、”映画とブロードウェイ・ミュージカルからの音楽”として編まれたアルバムが曲者だ。フォー・シーズンズの名だたるヒット曲がオリジナル・ヴァージョンとキャスト・ヴァージョン、そしてそれらの混合ヴァージョンで収められているのである。映画を観た後でこれを聴くと、曲順の流れや細かい音のあしらいが本当に巧く出来ていて、銀幕を見つめてる間に揺れ動いていた感情がしっかり甦ってくる。それはDVDやブルーレイで視覚的に追体験するのとはまったく違って、音楽が頭の中で観せてくれているのは自分だけの『ジャージー・ボーイズ』になっているはずだ。
 さんざん講説めいたことをぶってから白状するのもなんではあるが、私はフォー・シーズンズのヒットをリアル・タイムでは耳にしていない。フランキー・ヴァリの魔法の歌声を初めてちゃんと聴いたのは1975年の春だった。

                                       <後編に続く>

(2014.9.19)

(*1)フォー・シーズンズ
アメリカ・ニュージャージーから登場し、フランキー・ヴァリの個性豊かなヴォーカル・スタイルを看板にドゥーワップ・コーラスを基盤として、62年の「シェリー」を皮切りに数々のヒットを放った名グループ。アメリカ市場において、64年のビートルズ侵攻以降もイギリス勢に対抗しえた点で、ビーチ・ボーイズやモータウンのスターたちと並ぶアメリカのサウンドとしてもその重要性が捉えられている。

(*2)あまっちゃくれた=それほどきちんとはしてないの意(矢口造語)

*本稿執筆中の2014年9月11日に『ジャージー・ボーイズ』劇中でもフォー・シーズンズ史にきわめて重要な役割を果たした人物として描かれたボブ・クリューさんが、83歳で永眠されました。心よりご冥福をお祈りいたします。

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