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内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語 photo by James Hadde

第17回 ワカ・タプの完結 in レコフ島

 第15回のこのコラムでは5年前の航海のことを書きましたが(第15回「初めての太平洋横断〜続編〜」を参照)、結局また、現在に戻ってしまいます。時間軸が行ったり来たりしてしまって申し訳ないです。できるだけ、新しい旅のことは感動を忘れないうちに書いておきたいと考えています。
 
 今回は、今年の3月に行ったアオテアロア(ニュージーランド)からレコフ島(チャタム島)の旅について書きます。ちなみにホクレアは来月(2017年6月)世界一周の旅を成功させ、ハワイに戻ります。残念ながら、私はクルーに選ばれませんでした。今は日本にいるので、仕方のないことです。でも最高のクルーがホクレアとヒキアナリアと一緒にハワイまで旅をしています。機会がある方は是非2艘のカヌーをハワイまで出向いて迎えてあげてください。きっと忘れがたい瞬間になると思います。予定では6月17日にオアフ島のマジックアイランドに到着します。詳しくはhttp://www.hokulea.comで確認してください!
 
 今回のレコフ島へ旅をさせてもらったのは、ナヒラカ・マイ・タフィティ(通称ナヒラカ)という名の伝統航海カヌーです。2007年に進水しました。このカヌーは、アオテアロアで初めて作られた伝統航海カヌーであるテ・アウレレの姉妹カヌーです。

 2012年8月、テ・アウレレとナヒラカは「ワカ・タプ」と題された旅に出ました。2012年は、私が初めて外洋航海に出た年です。そういえば、ハワイのクルーがヒキアナリアの建造作業を見にアオテアロアを訪れた際に、テ・アウレレの修繕作業を見に行き、その様子を写真で見せてくれたことを思い出しました。その頃すでに、ホクレアはドライドックに入っていて、世界航海に向けてアップグレードされていましたが、このカヌーはすぐに何千キロの旅に出るにも関わらず、間に合うのかな? と思った記憶があります。ハワイと違ってボランティアも少ないみたいでした。

 私が初めて外洋航海に出た約1ヶ月前に、同じアオテアロアからこの2艘のカヌーも出発しました。アオテアロアの近代歴史上で一番大きな旅でした。同じ時に同じ太平洋を旅していた2艘のカヌーと、そのクルーに出会うのは2014年でした。
 
 アオテアロアには3人のポゥ・ナビゲーターがいます。ポゥ(ポーまたはPWO)とはミクロネシアにあるナビゲーターの称号、あるいはその称号をもらう儀式のことを示します(私のコラムの中では称号と思ってください)。ポゥがどんな称号なのか、詳しく説明すると、とても長くなってしまうと思うので、簡単に説明します。現代のポリネシア側から言えば、私達が学んでいる航海術を習得する上で最高に位置する地位のナビゲーターがもらえる称号です。ポリネシア圏のハワイには5人、同クック諸島に2人、同アオテアロアに3人しかいません。アオテアロアのポゥをもらったひとり、ヘケヌクマイ・バスビーさんがこのテ・アウレレとナヒラカを創った方です。彼は元々架橋を専門にする職人さんです。ホクレアが初めてアオテアロアにやってきたのは1985年のことで、もう30年以上前になります。彼はナイノアとナイノアのお父さんに出会い、そしてパパ・マウ(マウ・ピアイルグさんの愛称)に教えを受け、1992年にテ・アウレレを創りました。

 パパ・マウはカロリン諸島、サタワル島出身の方です。2010年に亡くなり、私は直接お会いすることはできませんでした。ただ、私の先生の先生ですので、いつもパパ・マウの話は聞いています。彼がいなければ、今の私はもちろんのこと、先生たちも、今の航海カヌー文化もなかったでしょう。カヌーについての話は、彼の話抜きでは始まりません。いつか私も彼の島を訪れてみたいです。カヌールネッサンスのすべてが始まった島、サタワル島。
 直接お会いしたことのない私が色々書くのは、失礼に値するかもしれませんが、たくさんある彼からの贈り物の中のひとつ、”アリンガノ・マイス”について少し。この名前はハワイの人たちがマウのために造り、マウに贈ったカヌーの名前です。意味は“落ちたパンの実”。落ちたパンの実は誰のものでもなく、誰が拾って食べてもいいという意味です。ナビゲーションを学びたい人だったら、誰が学んでもいいという意味で、そこに民族や国家という区別はしない。そんなふうに彼は言っていたそうです。その言葉に何度私が救われたことか。日本人の私がハワイでなぜカヌーなの?というのはよく思うことでもあり、よく聞かれることでもありました。でもこの航海術はミクロネシアから教えられ、その教えをくれたマウが、誰が学んでもいいのだ、と言ってくれていたことは、私にとっても大きな励みになっていたのです。

 そして、アオテアロアのもうひとりのポゥ、ジャック・テッチャーさん(通称ジャッコー)。彼はナイノアたちと同じ世代のナビゲーターです。彼に初めて出会ったのはホクレアが世界航海に出発するときです。ハワイ島のヒロでお会いしました。マオリのモコ(タトゥー)が印象的で、カラキア(祈り)を大勢の前でしてくれたのですが、とても貫禄のある方だと思いました。
 サモアからトンガ、そしてアオテアロアに向かう第4レグで、私はホクレアと一緒に航海をしていた伝統航海カヌー、ヒキアナリアに乗っていましたが、彼と彼のナビゲーター訓練生を含め4人のマオリと一緒に乗り組みました。たまたま私は彼の訓練生と同じウォッチ(見張り)で、一緒にナビゲーション訓練もすることになりました。実はこの訓練というか航海をしている最中に「ワカ・タプ」の旅の話を初めて直接聞いたのです。彼らの話は、すでに15,000キロぐらいは航海をしていた私にとっても、いろいろな意味でレベルが違うなと思わせるような内容でした。実際にカヌー航海をしている最中にも関わらず、ワクワクするような話でした。その「ワカ・タプ」でキャプテン兼ナビゲーターを務めたのがジャッコーです。そのジャッコーが2016年に始めたナビゲーション・スクール、クラ・ワカ(クラはマオリ語で学校や学びの場所、ワカはこの場合はカヌー)が、初めて外洋航海訓練をするので、そこに私も参加させてもらったのです。それに、訓練以外にもうひとつ、この旅には意味がありました。

 ここで2012年の「ワカ・タプ」がどんな旅だったのかというのを少し説明しておきます。「ワカ・タプ」の目的はポリネシアン・トライアングルの底辺を閉じるための航海でした。ポリネシアン・トライアングルとは、ハワイを頂点にして、左下がアオテアロア(ニュージーランド)、右下がラパヌイ(イースター島)という三角形です。この3つの点を結んだ中が、ポリネシアと呼ばれる地域です。ホクレアはハワイからアオテアロア、ハワイからラパヌイのあたりは航海しましたが、この旅でテ・アウレレとナヒラカが航海した、アオテアロアからラパヌイを航海したことはまだありませんでした。この最後の区間を閉じようとしたのが「ワカ・タプ」です。
 こうして始まった「ワカ・タプ」。ワカはマオリ語でカヌーのこと(本当はtransportationなのでカヌーだけではないのですが)で、タプの方は神聖なという意味です(ハワイ語ではカプ)。テ・アウレレとナヒラカは約10ヶ月の旅でラパヌイ間を往復し、19,000kmもの距離を旅しました。
 
 私がテ・アウレレとナヒラカを初めて見たのは2014年にニュージーランドに着いたときでした。現在テ・アウレレはヘケヌクマイさんの敷地内に陸上げされています。彼の家には世界で一番大きなスターコンパスがあります。

 一方、ナヒラカはというとクルーたちのホームタウンをすべて訪れようと計画しました。アオテアロア内のクルーのホームタウンはすでに訪れており、アオテアロアの東700kmほどの所にあるレコフ島が最後のクルーのホームアイランドです。そしてジャッコーはレコフ島への航海が、「ワカ・タプ」が真の意味で完結するということなのだと言っていました。この島は世界的にはチャタム諸島と呼ばれ、あの『十五少年漂流記』のモデルにもなったと言われている島です。アオテアロアの先住民マオリではなく、モリオリと呼ばれる先住民がもともと住んでいた島です。「ワカ・タプ」のクルーの中にモリオリのルーツを持つ人がいて、この最後の点であるレコフ島とを繋げることで、2012年に始まった「ワカ・タプ」が完結、いえ完成するわけです。
 
 そして、実はなんと草舟とも関連があります。今週末から私は父と一緒に、今度は台湾に舞台を移して「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」に参加することになりました。その準備に追われているので、ということを言い訳に、レコフ島の航海については次回で詳しく報告します。

(2017.6.2)

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