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内田正洋 内田沙希 シーカヤックとハワイアンカヌー 海を旅する父娘の物語 photo by James Hadde

第24回 アウトドア哲学なのだ

 前回の原稿を書いてからすでに3ヶ月が過ぎたのだけど、この間に再び、とんでもないことが起こってしまった。なーんて書くと、これまでの経緯からして、またまた不幸や災害に出くわしたと思われる向きもいるかもしれない。でも、真反対なのでした。
 まぁ、前回報告したように、懐妊した沙希が、無事に出産したのである。男の子を出産し、私(ワシと読んでね)は、爺さんになってしまった。というわけで、今回は爺さんになったばかりの親父が原稿を書いております。
 ニュージーランド(アオテアロア)で出産したので、沙希はまだそちらにおり、子育てに専念中。とても原稿が書けるような状況じゃないようで、連続しての親父の話になります。
 
 それで、まずは何の話をしようかと思ったけど、興奮しているのか、なかなか浮かばない。前回の丸木カヌーの話の続きもあるのだけど、孫もできたことだし、もっと根源的な話もしたい。そこで、ようやく出てきたのが「エコフィロソフィ」というキーワード。相当に難しい話だけど、何とかチャレンジしてみる。
 実は、1999年にそういうタイトルの本が出ていて、その初版本を持ってはいたのだけど、かなり難しくてキチンと読んでいなかった。副題は「21世紀文明哲学の創造」とある。20世紀が終わる直前に21世紀の文明哲学を創造しようと著した本なんだろう、とは思っていた。ところが、最近急に思い立って読み始めているのだけど、まだ読破には至らない。やはりかなり難しい。でも、その概要的な部分は見えてきたので、まずはそこから話を進めようかな。
 
 エコフィロソフィは、エコロジーの哲学である。エコロジカル「な」哲学ではなく、本質的なエコロジー「の」哲学である、と思う。60年代ぐらいから、その本の著者であり、哲学者のヘンリック・スコリモフスキー氏は、そんな哲学体系を考え始めていたという。その60年代、彼は故郷のポーランドからカリフォルニアのロサンゼルスに来て暮らしていた。そこで出会ったのが、当時カリフォルニアを中心にして吹き荒れていたいわゆるヒッピームーブメントだった。
 そして、あのヒッピームーブメントに答えるため、彼は新たな哲学を構築する人生を歩み、20世紀が終わるころにようやく結論に至った。それがエコ哲学であり、この本なのである。つまりこの本は、哲学書だってことであるから、まぁ読みやすくはないわな。
 でも、相当に面白い。なぜなら、21世紀が始まりすでに20年が過ぎ、明らかにエコロジカルな価値観が世界的に台頭してきていることが実感できるようになったからだ。当然ながら私らの世代は、この時代に育ち、自覚はしてなかったけど、そんな哲学で育ってもきたはずだ。さらにカヌー文化にもその影響が現れている、というか、逆にカヌー文化がこのエコ哲学に影響を与えているんじゃねーの?とさえ思えてくる。いや、そうであると思うから、話になる。
 
 エコ哲学に重要なのはコスモロジーの変化である、とまずは書いてある。これがカヌー文化につながることだ。で、コスモロジーってのは、宇宙論やら宇宙観である。あなたは、宇宙をどう考えているか、ということだな。宇宙とか世界とか呼ばれる、いわば人間を取り囲む何らかの拡がりの全体を指すものをどう考えるかだ。
 当然ながら人それぞれに宇宙観はあろう。そのコスモロジーを、「エコ」コスモロジーに転換するのが、エコ哲学の始まり、らしい。これがまた難しい。エコ哲学の始まりは、エコ宇宙観からなのである。それに、エコ宇宙観は、7つの柱によって支えられているという。これがまたまた難しい。だけど、まぁ考えてみるか。
 まずは、人間原理という原理がある。これは宇宙を人間の家だと考えるもの。エコロジーという言葉は、元々すべての人の家という意味であり、その概念を宇宙まで拡げるのが人間原理、と考えればいいんだろうな。地球が人間の家であるという感覚は、今の時代ならすでに分かるようになっているだろうから、それを宇宙まで拡げていくわけだ。そうなると、その家である宇宙に対し、人間は責任を持つことにもなる。地球環境に責任を持つという感覚をもっと拡げていくわけだ。それが人間原理になるようである。
 さらに、宇宙の構造や仕組みの原因にあるアインシュタインが唱えた宇宙定数を含むアインシュタイン方程式によって、生命現象は不可避の結果として生まれているともいう。宇宙定数は、後にアインシュタイン自らによって除かれたのだが、アインシュタイン方程式は生きており、そこには宇宙において人間は必然的に生まれてきたという考え方までがある。これを唱えたのが、相対性理論と量子力学を数式によって統一した(ダイソン方程式)宇宙物理学者のフリーマン・ダイソンである、とも書いてある。
 
 ここで、カヌーとのつながりが出てくる。フリーマン・ダイソンといえば、私らの、今のシーカヤックの世界を生み出した連中の1人、ジョージ・ダイソンの父親である。フリーマンと息子ジョージとの確執から和解への物語である「宇宙船とカヌー」という本があるのだけど、この本が今のシーカヤック「哲学!」を生み出すきっかけになった。まさにエコ宇宙論とカヌーがそこで結びついている。
 私がシーカヤックを始めた頃、ジョージは21世紀的なシーカヤックを試行錯誤の上で作っていた。それはバイダルカ(ロシア語でカヤックのこと)と呼ばれ、アルミフレームに化学繊維の皮をかぶせたもので、蘇ったアリュートカヤック(アリューシャン列島式のカヤック)だった。その製作にいたる学術的なカヤック本である「BAIDARKA」もジョージは上梓し、邦訳本も出ていた(もう絶版だけど)。私は、彼の家まで押し掛けて行ってカヤック談義をしたことだってある。

 ということで、人間原理によって宇宙には必然として人間が生まれる原理があり、それがエコ宇宙観の最初の柱だ。
 その人間原理の次に出てくるのが、進化論である。これがまたややこいしい。カトリック司祭であり人類学者でもあったピエール・テイヤール・ド・シャルダン(1881〜1955年)が唱えた「創造的生成の過程としての進化」というものが分かれば理解できてくる、らしい。
 シャルダンは司祭でありながら北京原人や旧石器の発見に関与した人類学者でもあった。さらに彼は、対立的だった宗教と科学とを融合させる思想を確立した哲学者でもあった。
 彼の思想は、進化論を否定していたローマ教皇庁から当初は禁書とされ、かなり弾圧されたのだけど、死後になって彼の著作が出版されるようになった。そこから大きな影響を社会に与え始め、今やローマ教皇も進化論やビッグバン理論を否定しなくなった。「現象としての人間」といった著作が邦訳されている。
 
 カトリックの教義が進化論を否定しなくなった理由としては、シャルダンの理論が、進化は愛(Love)の法則によって起こっているということのようで、それは宗教ともつながることであり、それがようやく理解されるようになったから(多分、科学的にも)こその結果だったんだろうな。
 人間原理によって生まれた人間は、地球の生命の進化の中で、創造的生成、簡単に言えば生命が「意識」、特に「Love」を持つようになり、その意識の生成が何度も起こり、そして人間となっていくような進化をもたらした、ということになるんだろな。要は、Loveという意識が人間を作ったってことになろう。アインシュタインが晩年に娘に残した手紙にも、そのLoveのエネルギーのことが書いてある。
 
 そして次の柱が、参与的精神となるそうな。これは原爆開発のマンハッタン計画に参加していた物理学者で、アインシュタインの共同研究者でもあったジョン・アーチボルト・ホイーラーが唱えた参与的宇宙からきている。
 宇宙は我々と無関係に外側に存在しているわけじゃなく、宇宙で発生していることに我々は不可避的に関わっており、我々は観察者じゃなく参与者なのである。そういった意味で、宇宙というのは参与的宇宙となる、などと語っている。彼は、ワームホールやブラックホールの概念を広めた人として名を残している。
 参与的精神を持った人間は、知識を得るための精神が常に参与的であり、そういった考え方があると、新たな仕方で自由に宇宙を見させてくれるようになり、さらには個人の自由と尊厳を増大させてくれるというのだけど、これまた難しい。
 つまり個人の自由と尊厳を増大させるためには、自分が宇宙に参与しているという精神が必要であり、宇宙は我々の誕生に責任があるけど、その精神があれば宇宙の運命に我々は責任を負うことになる。つまり宇宙は我々の家となる。あー、難しい!でも、少し分かるな。
 
 そして4番目、これもまた難しい。内在(内蔵)秩序というものである。これもマンハッタン計画に参加していた物理学者のデヴィッド・ボームによって生まれた思想だ。彼の理論が原爆を生んでしまったのだが、戦後はアインシュタインと共同研究をやり、アメリカのマッカーシズム(反共産主義)によって、結果的には無罪とはなったが、アメリカを離れブラジルに渡っている。彼の理論が、原爆の理論となってしまったことに深く反省したとも思える思想が生まれていた。
 内在秩序という思想には、外在する秩序もあるということだ。内在する秩序があるから外在化しているというような、まぁ分かりにくい概念なのだけど、量子力学を理解するための概念なんだそうな。ところが、その内在秩序の概念が、今度は哲学とつながり、インド哲学や仏教などとの関連性につながっていった。内在に対する外在秩序。これは、あの世とこの世といった宗教的な世界にも通じるようになっていったのである、と思える。
 ボームは、内在秩序を「精神」と呼んでも差し支えないと述べていたようで、内在秩序は、仏教でいう「空」の概念に近くなっていくことが分かり始め、物理学や科学は哲学になり、さらに宗教とつながることが、すでに分かってきているようだな。
 それに、内在秩序は宇宙全体がひとつであり、それぞれの要素が相互依存してもいるということでもある。それは宇宙エコロジーである。相対性理論や量子力学といった物理学が、宇宙エコロジー哲学になり宗教とつながる。そうなると、そこから倫理観が生まれてくる。と、いつの間にか、自然科学が人文科学の領域に入っていることが分かってくる。
 これら4つの柱は自然科学の洞察や発見からのものだけど、5番目の柱からは、宇宙の倫理的な秩序と自然的な秩序が柱になっていく。こちらは人文系なので、私としては割と分かりやすい。
 
 それで5番目は、というと「希望の神学」となるのである。希望というのは、継続的な超越の力にとって不可欠のものであり、希望は肯定や思いやり、連帯や勇気、そして責任の論理のことで、希望がなければ人間の本性は成り立たない。希望は宇宙と我々を肯定してくれるものだという。
 ふむ、これはすぐに納得できるものだな。何しろ私は娘に「沙希(沙漠の希望)」という名前を付けたほど。そして彼女は、生まれた息子に、海の希望と付けてしまった。希望はそれほど私らにとっては重要な概念だ。
 そして、6番目は「生命への畏敬」となる。これも分かりやすいな。我々は生命という現象を、畏敬をもって抱擁せざるをえない。そして生命への畏敬を拡大するとエコエシックス、つまりはエコ倫理になり、それが7つ目の柱になる。そこまで来るとエコ宇宙観が見えてくる。
 相対性理論や量子力学といった宇宙物理学の成果から始まり、希望、畏敬、倫理といった分野が統合されていくことで宇宙の全体性をひとつに感じ、宇宙を自分の家と感じられる宇宙観、それがエコ哲学の基礎になっているということだ。
 これをカヌー的な言葉でいうと、ホクレア号の世界周航時にも使われた「Our Island Earth」である。「我々の島としての地球(我が島地球!)」である。宇宙という海に浮かぶ地球という島に我々は暮らしていて、これからも暮らしていくという宇宙観であるな。

 星や自然の微細な変化を観察しながらのカヌー航海。そこから得たコスモロジーがエココスモロジーとなり、それが内在した秩序として意識できるようになり、情報の追求から知恵の追求という価値観に変化する。それがさらに、物質的な消費という価値から自己実現という価値への変化を促していく、とスコリモフスキーは言っている。
 いやはや、なかなか難しい話を書いてしまっているけど、結局科学は宗教や哲学につながり、倫理になっていくということだろう。こういった考え方は、日本も含めた先住民社会にはとっくにあったことで、インド哲学にしろ、仏教にしろ、南米のインディオ社会にもあったこと。そういうことが分かってくると、なーんだ、それってアウトドアじゃん、ということになる。エコ哲学は、アウトドア哲学と言い換えていいのだと、ようやく納得できてくる。
 で、内在秩序が仏教の「空」に近づいたといえば、あの般若心経になるじゃん。般若心経は、「空」の思想と知恵の最高境地について書かれてあるわけで、あれは漢訳だけど、日本語訳だと分かりやすいし、英語訳だって分かりやすい。ジョン・レノンの「イマジン」は般若心経のようだし、スティーブ・ジョブズも英語訳の「ハート・スートラ」を理解していた、らしい。
  
 相対性理論や量子力学から、般若心経へつながり、アウトドア文化が社会的に理解されていくことで、エコ哲学、つまりアウトドア哲学が社会に浸透している時代が今なんだ、ということが分かってきた。アウトドアは環境のことだけど、最大限に拡げると、アウトドアは宇宙になる。環境を宇宙まで拡げるわけだな。
すると、ホクレア号のような航海カヌーのウェイ・ファインダー(航海師)が、宇宙をナビゲーションの指針にして航海(旅)をしていることは、まさにアウトドア哲学によって駆動されているってことが理解できていく。
 さらに、前回の話にもある「3万年前の航海」を再現することは、第2の柱であるテイヤール・ド・シャルダンのカトリックの教義に対する進化論との融合のような思想になり、人類学とアウトドア哲学が重なってくる。これがまたまた面白い。
 しかし、ここまで書いて不可解なのは、相対性理論や量子力学の概要をほとんどの人が知らないということだ。私だって、なかなか理解はできていない。だから、せめて簡単な概略ぐらいは高校で教えるべきなんだろな。今や誰もがお世話になっているGPS衛星(カーナビも使ってますな)なんぞは相対性理論がなければ機能しないし(時刻の同期)、量子力学(原子時計)だってそうだ。海洋生物や鳥や昆虫が地球の磁場を感じて方角を知り目的地へ辿り着けることや、植物の光合成も量子力学でなら説明できるかもしれないほどに(量子生物学)進んでいるらしい。
 
 つまり、すでに古典的な地位になっている相対性理論と量子力学を、まったくといっていいほど学校で教えず、いまだにもっと古いニュートン力学に頼っているような教育でいいんだろか?と、エコ宇宙観を考えながら思っていたのが、今回の一番の収穫だったな。あらゆる分野の科学者は、もうニュートン力学での想像力では話しにならんのじゃなかろうか?と強く思った次第である。
 ということで、今回は科学から哲学、宇宙観の話になってしまい、抽象的なので写真があまりありませぬ。すみませぬ。

(2018.03.22)

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